インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

通訳報酬の「時給化」について

通訳者として登録しているエージェントさんから、アンケートへの回答を求められました。エージェントとは、通訳者の派遣や通訳者を使った業務のコーディネートなどを行っている会社です。アンケートの内容は、コロナ禍で通訳者の業務環境が大きく変わりつつある中、短時間での業務に対応する場合における報酬について意見を求めるものでした。

新型コロナウイルス感染症の拡大で緊急事態宣言が出され、海外との人的往来が極端に少なくなって以降、国際的な会議や会合はほとんど開催されなくなっており、そのかわりにインターネットを使った遠隔会議が主流になっています。通訳者を必要とする会議や会合のフィールドも遠隔会議の場に移りつつありますが、従来とはかなり異なる勤務形態のため、料金体系を見直したいというのがエージェントの意向なのでしょう。

ここにはエージェントだけでなく、通訳者を依頼するクライアントからの要望もあるものと思われます。通訳者の報酬にはいろいろな形がありえますが、このエージェントの場合は「1日料金」と「半日料金」の二種類しかありませんでした。他のエージェントもほぼ同じです。つまり、例えば2時間の会議であっても、半日料金をクライアントに請求していたわけです。

でもクライアントからすれば、遠隔会議に会議に参加する通訳者は(おそらく)自宅からアクセスしてくるはずで、会議場所までやってくる手間もかからないのだから、会議に参加している時間だけ、つまり「時給」で報酬を支払ったっていいじゃないかという感覚になるんでしょうね。そういうクライアントの声が多く届くようになって、エージェントとしてもそれを放置しておけなくなったというのが、こうしたアンケートの背景にあるのだと思います。

しかし、もともと通訳者の報酬というものは、実質的に現場で通訳をしている時間のみを対象にしたものではありません。単なる井戸端会議ならともかく、専門性の高い業務内容を通訳する場合「話せれば訳せる」わけではなく、事前の入念かつ長時間の予習や準備が必要です。2時間ほどの会議であっても、その2時間だけ顔を出してしゃべるだけ……ではないのです。

qianchong.hatenablog.com
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通訳者の報酬は、それも「込み込み」で日当が設定されていたのであり、わずか数時間の業務であってもその予習や準備の大変さにそれほどの差はないため(なにせ、通訳者はほとんどすべての業界において「門外漢」なのですから)、長年の経験から「1日料金」と「半日料金」という形で報酬を確保する形に落ち着いてきたのだと理解しています。エージェントもその意味や意義をクライアントに十分説明し、クライアントもまた良い通訳業務を通してこそ自らの利益にもかなうのだという点を理解してそうした報酬を支払ってきた。

ところが、このブログでももう何度も指摘してきましたが、そうしたクライアントとエージェントの関係に変化が生じ、エージェントと通訳者の関係にもそれが波及しています。具体的には、クライアントは複数のエージェントに「相見積もり」を取り、エージェントは通訳者に「仮案件」という形でオファーを出し、エージェントが失注した場合には「リリース」になるという形式が常態化したのです。これは通訳者(特にフリーランスの)に一方的な「しわよせ」が行く形式であり、安定した収入の確保がますます難しくなっています。

qianchong.hatenablog.com
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そこにもってきて今次のコロナ禍による「時給制」への移行の動き。エージェントとしても、エージェント他社がクライアントからの要請に応じて時給制を導入し、クライアント側のコストカットに協力するようになれば、座視しているわけには行かないでしょう。それでこうしたアンケート調査という運びになったのだと思います。他のエージェントからはこうしたアンケートは届いていません(私のような末席に出していないだけ、だと思われます)から、このエージェントはまだ通訳者の意向を聞こうとしているだけ良心的でいい派遣業者だと思います。

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https://www.irasutoya.com/2018/12/blog-post_888.html

でも、アンケート結果のいかんによらず、一部の業務では上述したような「時給制」への移行はもう決定的でしょうね。そうなれば、十分な予習や準備が必要な通訳業務にはますますの困難さが伴うようになると思います。これまでだって、クライアントからなかなか資料が提供されない、提供されても会議の直前、提供された資料が当日大幅に入れ替わっているなど、通訳者泣かせの状況は山ほどあったのです。それがさらに困難な状況になる……。

私はもう、エージェント経由のお仕事は実質的に「廃業」状態ですから、いまさら何をか言わんやなのですが、こうやって通訳者を追い詰め、言語の壁をある意味で「舐めて」かかって行った先に明るい未来が開けているとはあまり思えません。

おっと、つい呪詛の言葉を吐いてしまいました。私はくだんのアンケートにまだ回答していないのですが、エージェントさんの立場は十分にわかるものの、それではこの業界を志す新しい方々はますます減り、それは回り回って御社の状況にも影響を与えるのではないかと思います、とでも書こうかなと思っています。

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