インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

義父と暮らせば12:「金さ君。」

いや、びっくりしました。

これまで毎月の光熱費を三で割り、私と細君の二人分をキッチリ請求してきたお義父さんが、突然「来月から俺が負担してやるわ」と。どうしちゃったの、お義父さん。

どうやらお義父さんの弟や、亡き義母の友人らが何度も進言してくれたらしいです。身体の衰えを心配して同居してくれて、炊事洗濯掃除から身の回りの一切合切を担当してくれている娘夫婦に、年金満額もらって悠々自適のおまいがみみっちいことしてんじゃねえや……って。あ、お義父さんも弟さんも元々「いどっこ(江戸っ子)」なんですけどね。

それでも「朝、エアコンと電気ストーブ一緒につけるのはよしとくれ。電気代がかさんでしょうがねえ」だって。お義父さんも精一杯の面子を保とうとしたのでしょう。なんにせよ、ありがたいことです。月に数万円のことなんですけど、細君は心なしかお義父さんに優しく接するようになりましたし、私は私でご飯作るのが以前よりは何となく楽しくなったような。

夏目漱石の『こころ』に、こんなくだりがあります。「先生」が「私」に、世の中に典型的な悪人などいないが、いざという間際には誰でも急に悪人に変わるものだと言い、「私」がその真意をただす場面です。

 門口を出て二、三町来た時、私はついに先生に向かって口を切った。
「さきほど先生のいわれた、人間は誰でもいざという間際に悪人になるんだという意味ですね。あれはどういう意味ですか」
「意味といって、深い意味もありません。――つまり事実なんですよ。理屈じゃないんだ」
「事実で差支えありませんが、私の伺いたいのは、いざという間際という意味なんです。一体どんな場合を指すのですか」
 先生は笑い出した。あたかも時機の過ぎた今、もう熱心に説明する張合いがないといった風に。
「金さ君。金を見ると、どんな君子でもすぐ悪人になるのさ」
夏目漱石 こころ

「私」はこの答えに拍子抜けするのですが、お金というものは実に侮れないものです。いくら平静を装ってはいても、お金の問題が介在するだけで心というものは影響を受けるんですね。お義父さんの申し出を聞いただけで、名状しがたい胸のつかえみたいなものがぽろりと取れちゃった自分に、いまちょっと驚いています。