インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

通訳は「ちょろい」職業か

春節休暇(今年の春節は1月31日)のためか、都心に出ると観光客とおぼしきチャイニーズのみなさんを多く見かけます。日本の洗練されたところも、そうでないところも見て行ってほしいですね。本来の姿をありのままに体験してもらうだけで十分「おもてなし」になると信じています。

昨今はもっと外語(なかんずく英語)を学べとか、看板の表記を改善しろとか、おそらく2020年に向けた施策を叫ぶ声が様々な方向から聞こえてくるんですけど、そういう利便性を追求することだけが「おもてなし」じゃないと思うんですよね。それはむしろ旅情を削ぐんじゃないかと。不思議な未知の国のままである方が観光客は楽しいはず。だからありのままの日本をそのまま見せればいいのだと思っています。

おそらく春節休暇で急増するチャイニーズの観光客対応なんでしょう、ネットで登録している派遣業者のサイトから、店頭通訳の短期派遣求人がメールで数多く舞い込みます。相変わらずの低賃金でぴくりとも食指が動きませんが、昨日はこんな求人文句がありました。

スポーツ用品ショップにて中国人のお客様対応をお願いします。中国人のお客様の要望をヒアリングし、日本人の販売スタッフへ日本語に通訳するだけ! 商品知識は全く必要ありません!

う〜ん、商品知識が全くなくて、どう訳せというのかな。通訳は単に音声を変換しているんじゃないんだけどな。通訳者の耳に言語Aを聞かせれば、口から言語Bが出てくる…という機械だと勘違いされている方、いるんですよね。「言ったことをそのまま訳してくれればいいから」って、事前に情報を全然出してくれないクライアントがその典型。それでも言葉である以上訳せる部分はあります。あるけど、訳出の精度はかなり落ちます。これは「喋れれば訳せるでしょ」という信憑が根底にあるような気がします。

チャイニーズの観光客は、わざわざ日本までやって来て、本国では手に入らない仕様の本国より割高なスポーツ用品を買おうとされてるわけですよね。そんなお客さんに店員が「このスニーカーはフィットネスヘリテージをコンセプトに開発されたVintageパックで、レトロテイストなアッパー素材やクラックドサイドストライプやユニオンジャックをシュータンに施した今シーズンの注力コレクションです」と言ったら、知識なしに訳せると思う? いやこれ、たった今リーボックのウェブサイトから拝借してきたフレーズですけどね。

店頭販売でそこまで説明しない? まあそうかもしれませんね。「この靴、いいです。おすすめです。お安くしときます」くらい言えればいいのかな。「とにかくいろいろと細部にまでこだわった、今流行りのすんごくいい靴なんですっ!」くらいに超意訳することだったらできるかもしれません。でもお目の高いお客様や、商品に自信と誇りを持っている販売員だったとしたら不満でしょう。

商品知識なんかいらない、「喋れれば訳せるでしょ」というのは結局、お客様と販売員と、そして通訳者をも「なめてかかってる」んじゃないかなと思ったんですね。

と、昨日はFacebookのタイムラインでこんな記事を教えてもらいました。通訳案内士の受験者が減少してるという話です。

日本を訪れる外国人旅行者を案内する観光ガイドの不足が深刻化している。ガイド不足に向けて、観光庁は「通訳ガイド制度」の創設を打ち出したが、これが逆に既存のガイド資格の受験者数減少を招いている。観光庁は新資格創設を事実上断念。政府は東京五輪が開かれる二〇二〇年までに外国人旅行者を現在の倍の二千万人に増やそうとしているが、政策の混迷が足を引っ張っている。

東京新聞:「五輪までに2000万人」大丈夫? 訪日客ガイド不足

まあレートは激安だし、モグリが横行しているうえに取り締まりもほとんど行われてないしねえ。私も通訳案内士の資格を持ってますけど、ガイドの仕事をしたことは一度もありません。端的に言って通訳案内士の免許を取っても実際に稼働する人が少ないのは、きちんとした対価が支払われないからです。そしてそのベースには「喋れれば訳せるでしょ」という信憑があり、通訳なんて口先でぺらぺらっと喋って稼げる「ちょろい」職業だという誤解があるのだと思います。

上記の求人にせよ、通訳案内士の受験者減少にせよ、その背景には通訳という仕事に対する無理解が横たわっているなあと改めて感じたのでした。

ちなみに通訳なんて「ちょろい」でしょという誤解、語学なんて「ちょろい」でしょという意識と繋がっていると思います。内田樹氏のこちらのエントリをぜひ読んでいただきたいです。全編引用したくなるほどの素晴らしい文章ですが、とりあえずここだけ引用させていただきます。

英語を最小の学習努力で習得しようとする費用対効果志向と、日本語はもう十分できているので、あとは量的増大だけが課題だと高をくくっているマインドセットは根のところでは同じ一つのものである。


どちらも言語というものを舐めている。


言語というのは「ちゃっちゃっと」手際よく習得すれば、労働市場における付加価値を高めてくれる技能の一種だと思っている。


そこには私たちが母語によっておのれの身体と心と外部世界を分節し、母語によって私たちの価値観も美意識も宇宙観までも作り込まれており、外国語の習得によってはじめて「母語の檻」から抜け出すことができるという言語の底深さに対する畏怖の念がない。言葉は恐ろしいものだという怯えがない。

言語を学ぶことについて (内田樹の研究室)

幸か不幸か、日本はこれだけの巨大な人口(世界でも十指に入ります)がほぼ一つの言語で暮らすことのできる珍しい国です。それがこの国独特の社会と文化を創り出すことに貢献してきたわけですが、反面私たちは、外語に対する無理解といじましいまでのコンプレックスを育み、そして空気のような母語に対するありがたみの喪失を招いて今日に至っているのかもしれません。

追記

2014.2.1

これもFacebookのタイムラインで教えていただいたんですけど、通訳案内士試験に合格して免許を申請する際に「精神疾患の有無に関する健康診断書」が必要になったって、ホント? 私が取得した頃は求められませんでしたが……というか、一体何があったんでしょう。だいたい二次の口頭試問は人物考査も兼ねてるんじゃなかったのかな? 上記の記事の新資格騒動といい、行政の混迷ぶりが際立ってます。

さらに追記

2014.2.2

この「精神疾患の有無に関する健康診断書」について、Facebookで事情に詳しい方からご教示いただきました。感謝申し上げます。

通訳案内士は国家資格ですが、こうした国家資格には以前「精神障害者」を排除する「絶対的欠格条項」というものが規定されていたそうです。それが2002年に一括法改正がなされて、全てを排除するのではなく、通訳案内士として適当でない疾患を省令で定めるという「相対的欠格条項」へ改められたそうです。
通訳案内士法(第二十一条)

診断書はその施行規則にある「精神の機能の障害により通訳案内の業務を適正に行うに当たって必要な認知、判断及び意思疎通を適切に行うことができない者」かどうかを判断するために提出を義務づけるようにしたもよう。つまり、全ての精神疾患を一律に排除するのではないということですね。通訳案内士だけでなく多くの国家資格でこのような措置がとられたとのことです。
通訳案内士法施行規則(第十七条)

これは障害者団体からの要望を受け入れた改正だそう。ざっと検索したところ、以下のページがありましたのでリンクを張っておきます。
精神障害関係の欠格条項の改正評価と今後の課題