スーパーの外壁。「kaikki hyvä on lähellä.(すべてのよいものは近くにあります)」という感じですか。
ピザ屋さんの看板。「Olemme avoinna perjantaina ja lauantaina kello 5 asti !(私たちは金曜日と土曜日の5時まで開いてます!)」。おお、読める読める。
街中でバスやトラムに乗って現地の人のおしゃべりを聞いたり、民泊で借りている部屋のテレビをつけたりすると、もちろんほとんど聴き取れないものの、知っている単語やフレーズがぽつぽつと出てきて、これもなかなか楽しいです。これで自分からも自由に話せるようになるとさらに楽しいのですが。でもイミグレーションで「どれくらい滞在しますか」と聞かれたのでフィンランド語で答えてみたら、「Puhutko suomea?(フィンランド語を話せるの?)」と言われ、「Puhun, mutta vähän.(はい、でも少しだけ)」と会話が成立してうれしかったです。
Minä kävin Suomessa viisitoistavuotiaana.
私は十五歳の時にフィンランドへ行った。(過去形)
Minä olen käynyt Suomessa.
私はフィンランドへ行ったことがある。(現在完了形)
日本語だとどちらも「行った」という過去形的(?)な表現になるのでちょっと混乱するのですが、フィンランド語の過去形は「過去の一点における叙述」というのがポイントで、ゆえに過去の一点を表す単語が入っていれば過去形として動詞を動かす(過去形にする)と。「viisitoistavuotiaana(十五歳の時に)」とか「kaksi vuotta sitten(二年前)」とかいうのが「過去の一点」ですね。
中国語の講師をしていたときも、例えば「お互いに自己紹介してみましょう」とか「家族のことを話してみましょう」などというタスクを課すと時々「プライベートに関わることはちょっと……」とか「ひとり暮らしなので何も話すことがありません」という方がいて、困ってしまったことがありました。「中国語では、みなさんのお名前の漢字が中国語読みされます」と紹介して「自分の名前を言ってみましょう」となった際、「私はTanaka(田中)であってTiánzhōng(ティエンジョン:田中の中国語読み)じゃない。英語だって Mr. Tanakaと言うじゃないか」みたいにおっしゃる方がいて閉口したこともあります。
フィンランド語では「機嫌がいい」ことを“hyvällä tuulella(よい風の上に)”といいます。“Hän on aina hyvällä tuulella.(彼はいつも機嫌がいい)”。日本語でも「風に乗る」とか「風を捕まえる」などと言いますけど、何だかとても爽やかで前向きで、いい表現ですよね。いつも不機嫌でいると、よい風も吹いてこないような気がします。
ところで、広東語版ウィキペディアによると、広東語ではドナルド・トランプを“當勞侵”と表記するそうで、ミドルネームの「ジョン(Donald John Trump)」は“莊”としているよし。へええ。私は広東語の発音が分からないのでなんとも言えませんが、ネットであれこれ検索してみると「かなり英語の発音に近い」のだそうです。それにしても「侵略」の「侵」ってのはなかなかインパクトがありますね。広東語では他にも“杜林普”という表記や、“侵侵”というネット用語的な表記もありました。