インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

「将来の目標は音楽で売れて皿洗いをやめること」とは言わないほうがいいかも

最近はめっきりテレビというものを見なくなりましたが、毎週土曜日の夜に放送されている「地域密着系都市型エンタテインメント」を標榜する某番組だけは昔から好きでよく見ています。毎週ひとつの街を選んで徹底的に紹介するというこの番組、先日は私がよく知っている街の特集だったので、録画しておきました。

その録画を昨日見ていたのですが、番組に登場したおしゃれな居酒屋の店員さんが皿洗いをしながら「ふだんはギタリストをやっています」と言っていました。なるほど、居酒屋のアルバイトをしながら二足のわらじを履いて頑張ってらっしゃるわけです。でもその方が「将来の目標は音楽で売れて皿洗いをやめること」と自嘲気味に続けていたので、ちょっと複雑な気持ちになりました。


https://www.irasutoya.com/2015/05/blog-post_415.html

いえ、個々人が仕事に対してどんな思いを持とうがもちろん自由です。それに誰でも下積み時代みたいなものはあって、いつかは自分も! と自らを鼓舞する気持ちもじゅうぶんに分かります。それでもこうした物言いは、たとえそれが冗談や自虐ネタのたぐいであったとしても、口に出すのはやめておいたほうが「吉」なのではないかと思いました。

「将来の目標は音楽で売れて皿洗いをやめること」というのは、いわば「自分の本当の居場所はここじゃない」と宣言しているようなものです。そういう気持ちで仕事をするのは、お客さんにも、お店の店長さんやスタッフにも、そして自分自身に対しても、残念な姿勢ではないかなと思うのです。

職業に貴賎はないなどという話をしたいわけじゃないんです。ただ、いつかはここではない別の場所で自分の夢を叶えるんだと思ってはいても、それはそれとして、いま・ここで従事している仕事にもきちんと向き合う姿勢がけっこう大事なんじゃないかと。逆説的に聞こえるかもしれませんが、どんな仕事でもきちんと向きあって、いわば「腰掛け」的な気持ちではない姿勢や態度で望むことが、次のステップにつながるーーそういうことが人生にはまま起こりうるのです。

それはおそらく「オレの居場所はここじゃない」とか「オレはまだ本気出してないだけ」という姿勢で仕事に臨んでいると、そういう後ろ向きのオーラみたいなものが数多の対人関係に微妙に影響するからではないかと思うのです。逆にその仕事がたとえ自分が100%望んでいるたぐいのものではなくても、「自分がいまここでできることは何か」、「この仕事をどうやったら少しでも気持ちよくできるか」と前向きな姿勢で臨んでいると、そういう姿勢がその人の魅力となって周囲の人にも伝わる。

それがひいては違うステップやステージに自らを引き上げてくれる。自分では予想もしなかったような未来に連れて行ってくれる。「縁に恵まれる」というのは、そういうことなんですよね、きっと。「オレの居場所はここじゃない」という姿勢でいる人ほど、その居場所からなかなか離れられないものです。いえ、べつに呪詛の言葉を吐きたいわけではないですし、テレビに出ていたあの方もそれは分かっていてのテレビ番組的リップサービスだったのかもしれませんが。

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いつかは皿洗いをやめるとしても、そのいま・ここで従事している皿洗いという仕事に「いつかはやめてやる、こんな仕事」的な言葉を用いないほうがいいんじゃないかーー大きなお世話だとは思いながら、そんなことをテレビ画面に向かってつぶやいたのでした。