インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

思考がどんどんやせ細っていくのでは

先日、とある留学生が提出してきた日本語のレポートに違和感を覚えました。とても上手にかけているのですが、ふだんの授業中の作文や発言に比して、上手すぎると感じたのです。これはもしや……と思って、その課題と同じ文章をChatGPTに入力してみたら、件の留学生が書いたものとよく似た文章が生成されました。

もちろんまったく同じではありません。ご承知の通りChatGPTは入力の仕方によってかなり違った結果が帰ってきますし、同じ人間が同じ質問を繰り返しても、その都度違う答え方をしてくることが多いです。だからもちろん断定はできないのですが、項目の立て方や論旨の運び方、結論などがほとんど似通っているとあっては、やはり「ChatGPT使用疑惑」は拭えません。ついに来たか、と思いました。


https://www.irasutoya.com/2016/12/blog-post_870.html

これまでにも、例えば明らかにGoogle翻訳にかけたでしょこれ、みたいな翻訳課題を提出してきた学生はいました。でもChatGPTを使ってきたのに遭遇したのは、私としては初めてです。あんまり大げさなことは言いたくないけれど、人間が何かを学ぶ際の、その学びの意義や意味みたいなものが問われる時代になったと思いました。

先日、このブログにある方からコメントをちょうだいしました。私のブログはスパムコメントを防ぐためにコメント承認制にしているのですが、その方は読んでもらうだけでいいので承認はしないでくださいとのお申し越しでした。ですからここでも詳細は記しませんが、その方が書いてくださったのは概略、AIに頼りすぎた果ての人間は、もう努力や向上心などを持ち得ないのではないかとのご意見でした。

私はそのご意見に共感します。実は以前、留学生が日本語の表現力を養うための授業で行っている日本語劇の台本として、AIによる機械通訳や機械翻訳が極限まで発達した未来をテーマにした戯曲を書いたことがありました。機械通訳が高度に発達した未来では、各言語の母語話者がそれぞれの母語の内輪だけで思考するようになった結果、思考のブレイクスルーがなくなってどんどん言葉がやせ細っていき、何百年かの後にはコミュニケーションの手段が「咆哮」、つまり鳴き声にまで退化してしまうというものです。

qianchong.hatenablog.com
qianchong.hatenablog.com

もちろんこれはかなり突飛な空想です。実際にはそんな事態には至らないと思いますが、しかしそこに至らないための鍵は、創造的なことをする人の割合がどれだけ残るかにかかっているのではないかとも思います。

使ったことがある方ならば同意してくださると思いますが、Google翻訳やDeepLって、中毒性があるんです。そして、自分はこれらをツールとして使っているだけで、主体的に考えているのはもちろん自分……と思っていても、どんどん思考を「あちら側」に手渡していくようになる。よほど何らかの対策を自分に立てていないと「ミイラ取りがミイラになる」のは明らかなように思えます。

ChatGPTの普及にも同じようなことを感じています。ChatGPTはネットの膨大な情報を渉猟して言葉を生成しているそうですが、今後この利用が飛躍的に伸びていったとしたら、AIがネットから言葉を生成し、それを利用して文章を作った人間がまたそれをネットに上げ、それをAIが利用してふたたび生成し……という営みを繰り返しているうちに、人類の知全体がいわゆる「劣化コピー」のようなことになっていかないのかと。

件の留学生には、そんなこんなを噛んで含めるようにお伝えしようかなと考えているのですが……はたしてその気持ちは届くでしょうか。自分もChatGPTの生成能力になかば興奮し驚嘆していて、その抗いがたい魅力を実感しているだけに、けっこう難しいかなと思っています。