インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

『ナカイの窓』と同じ心性は自分にもあるかもしれない

コンビニで働く外国人労働者の日本語を揶揄したこちらの番組が、TwitterなどのSNS上で「大炎上」していました。詳しい経緯はこちらの記事で知ることができます。

wezz-y.com

私も以前Twitterで以下のようなツイートをしたことがあるのですが、こうした、ちょっとした日本語の不自然さをあげつらって嘲笑の対象にする、あるいは苛烈な要求をするというその「非寛容さ」はこの国に広く蔓延しているのかもしれないと思いました。そして、外国人労働者が増えつつある今とこれからは、こうした問題がさらに頻繁に繰り返されていくのかもしれないとも。

でも、日々外国人留学生と接している私たちのような立場の人間でも、これと同根の心性は宿っているかもしれない……とも思います。例えば留学生の課題や試験の答案を採点・添削している際に、同僚の教師が「大爆笑」している場面を日常的に目にするからです。

留学生の「カワイイ」日本語

私たちが接している留学生は、日本語の習熟レベルで言うと初級から中級程度に属します。これからさき日本での就職や進学、あるいは母国やその他の国で日本語と自分の母語(ないしは英語)を使って仕事をしたいと夢見ている人たちです。日本語はまだ「発展途上」ですので、よく書き間違いや言い間違い、それも日本語の母語話者であれば考えられない形での間違いをすることがあります。まあ当然ですよね。私たちだって外語を学んでいる過程では、そんな「とんちんかん」を一杯やらかしているはずです。

そうした間違いに対して、私たちは往々にして「ウケ」てしまい、爆笑してしまうんですね。いま個別具体的な例を思いつかないのでネットに流布している「ネタ」から引用すると、それは例えば「神のみぞ知る」を「紙のみそしる(味噌汁)」と書いちゃうような、あるいみ独創的な(?)間違いです。

誤解のないように急いで書き添えますが、こうした留学生の日本語の間違いについて、教師のほとんどは別に嘲笑や、ましてや差別的な意識で爆笑しているのではないと思います。むしろそういう間違いを「ほほえましい」ものと捉え、そういう間違いをする留学生を「カワイイ」と感じ、さらにはどんどん間違えて、それを指摘されて、日本語の力をさらに伸ばしていって欲しいと応援する気持ちを人一倍持ってはいるのです。

とはいえ、そうした間違いに爆笑してしまう心性と、今回のようなコンビニで働く外国人労働者の不自然な日本語をネタに盛り上がるバラエティ番組との距離は、果たしてどれくらいあるのだろうか……と考えると、意外に近いところにあるのかもしれないと、その「危うさ」に襟を正した次第です。大の大人をつかまえて「カワイイ」と感じる心性にも、冷静に検討を加える必要はあるかもしれません。

『説日語』をめぐって

私が中国に留学していた当時、日本人留学生を爆笑の渦に巻き込んでいた一冊の「日本語会話集」があります。『説日語』(中国語で「日本語を話そう」くらいの意味)というポケット版の会話集で、その誤植の多さゆえに日本語母語話者にとっては腹筋が崩壊するほどのインパクトを持った本でした。今でもネットで画像検索すると、多数ヒットします。

www.google.co.jp

正直、今読み返してもふつふつと笑いがこみ上げてくるのです。そして、その笑いは別に嘲笑でも、ましてや差別的な意識でもないはずですが、この『説日語』を編纂した著者氏にしてみれば、かなり屈辱的な笑いとして受け取られることでしょう(もう少し校正に力を入れて欲しいというツッコミの余地はあるにせよ)。この種の笑いは、日本語母語話者だからこそのもので、日本語を学んでいる立場の方からすれば「どこが面白いの?」とキョトンとしてしまう類いのものですよね。

こうした、キョトンとした表情の「非日本語母語話者」を向こうに置いて、その日本語の間違いを私たちが爆笑のネタとして楽しむ……という構図、ここには『ナカイの窓』にも『説日語』にも、そして私たちの職場における笑いにも通底している「危うさ」があるのではないか、と考えたわけです。

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https://www.irasutoya.com/2018/09/blog-post_781.html

言語リテラシー教育の必要

今回の件に関して、ネット上では「そもそも日本のコンビニで、母語ではない日本語を使って仕事をしていること自体すごいではないか」という擁護の意見が数多く見られたことは救いでした。私たち日本人(日本語母語話者)は、とかく二つ以上の言語を使って生活することそのものへの想像力が乏しすぎると思います。それは一面、単一の言語のみを使って高等教育まで賄える日本という幸せな国の宿命でもあります。

だからこそ、そも言語とは何か、二つ以上の言語を用いるとはどんな状態なのか、言語間を往還する翻訳や通訳とはどんな営みなのか、母語と外語の違いは、その壁を越えるための言語学習はいかにあるべきか……等々についての、いわば「言語リテラシー」とでもいうべき教育の必要性を、今回の件で改めて痛感したのでした。

qianchong.hatenablog.com