お酒を飲まなくなってから120日目になりました。この間、習慣化のために毎日記録をつけ続けてきたのですが、完全に習慣化されたのでもう記録は卒業してもいいかもしれません。
習慣化できてみてから振り返ってみると、どうしてかつてはあんなにお酒を飲まずにはいられなかったのか、本当に不思議な気がします。週に一日の「休肝日」を設けることさえ苦しかったのに。習慣を変えるというのは一面で本当に難しいものですが、一面ではものすごく簡単なんですね。習慣を変えるための「仕組み」を作ることができさえすれば。
私の場合、それはアウトライナーで毎日「飲まなかった◎」と日付とともに書き込むことだけでした。最初の数日は多少意思の力が必要でしたが、記録が積み重なってくればもう大丈夫。ずらっと並んだ記録の列を途切れさせたくないという気持ちが先に立って、どんどん飲みたくなくなるのです。確か「レコーディングダイエット」というのがありましたよね。アレに似ていると思います。
お酒を飲まなくなって、暮らしにおける意識が少し変わりました。例えば以前は夕飯の準備をするときに、飲むことが前提で買い物をし、料理を作っていたのですが、その頃よりもずっと食卓がシンプルになりました。その分後かたづけも多少ラクになり、出費も減りました(私の場合、ワインなどお酒そのものへの出費がかなりありました)。
外食や会合などにもほとんど食指が動かなくなりました。もともと外食や「飲み会」などにはほとんど行かない人間でしたし、コロナ禍に突入してからこちらはほぼ皆無に近い状態ですが、これからもたぶん行く機会は少ないままだろうと思います。折しも忘年会シーズンで、特に今年は感染状況が落ちついていることから多少のお誘いもあるのですが、いずれも遠慮しようと思っています。
しかしなんですね、ここまで暮らしがシンプルになってくると、逆にこれは新種の「ひきこもり」なのではないかと我ながら心配になります。でも、コミュニケーションの前提として「飲み」が組み込まれているということ自体が見直されてもいいわけです。忘年会のお誘い、ひとつだけ受けてみて、かつお酒は飲まず、自分と周囲の観察をしてみようかなとも思っています。自分はまったくお酒を飲まずに「飲み会」に参加したことは一度もないので、何か新しい発見があるかもしれません。