インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

薙刀でした

先日いくつかの新聞朝刊に載った、この宝島社による全面広告。共感を寄せる声がある一方で、写真の出典や写真とコピー(文章)の齟齬などをめぐって、疑問の声にもいろいろと接しました。疑問の声を総合してみると「この写真は1941年の太平洋戦争開戦前に撮影された薙刀訓練のようすであり、戦争末期に空襲や本土決戦に竹槍で挑もうとした『愚行』に今次の行政によるコロナ禍対応の杜撰さを重ねるのは安易ではないか」という感じです。

もうひとつ、Twitterのタイムラインで拝見したこちらのツイート。


なるほど。宝島社って、私が若い頃には「別冊宝島」シリーズでずいぶん面白い本を出していたような記憶がありますが、最近はかなり怪しげな本ばかり手がけている印象ですよね。そんな出版社が今回のこのセンセーショナルな意見広告。写真のテキトーな扱い方と相まって、これも一種の自社プロモーションなのかしら、陰謀論のメンタリティと大差ないのかもしれない……と思わせるだけの要素が満載なようにも見えます。

私は最初「竹槍じゃなくて薙刀だ」というツッコミに「んな、重箱の隅つつきじゃないか。政府のコロナ禍対策がこの一年後手後手に回ってきたのは事実でしょ」と反感を抱きました。でもそのあとすぐにこうした意見に接して「なるほど」と、立ち止まって別の視点で捉えることができました。

こういうところはSNSの長所なんですよね。ただ一方で、先日書いた「Twitter内外の温度差」という問題もありますから、ようはSNSも実社会も、できるだけたくさんのソースに接して自らのバイアスを不断に修正していく作業が必要なんでしょう。少なくとも「わーっ」と脊髄反射的に反応しない、一旦深呼吸してよく考えることが大切、と。

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ところで、話の本筋には全然関係ないんですけど、趣味でやっている能の稽古は「船弁慶(キリ)」の仕舞に入りました。この舞はいつもの扇に加えて、薙刀を使うのです。薙刀を持って舞うと、特に薙刀を両手で持つと、身体の向きが固定されてしまうため、身体の向きを変えるときは腰から身体全体を動かさなければなりません。扇だけ持っているときのように、腕や肩から先に回ろうとする「悪癖」が封じ込められるような感じ。

それに扇に比べて薙刀はかなり重いです。それでも稽古で使うのは木刀みたいな模造の薙刀ですから、本物の刃がついたそれよりはずいぶん軽いそうですが、まだなかなか慣れません。とりあえず師匠からこの稽古用の薙刀を借りて練習しています。いつもと違う身体の使い方をしているからから、なんとなく身体のあちこちが悲鳴を上げているような感じです。


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