先日、政府が児童福祉法や児童虐待防止法などの改正案を閣議決定し、その中で「親による子どもへの体罰禁止」が明記されたというニュースに接しました。今国会で成立を目指し、来年四月からの施行を目指しているそうですが、ネットでは賛否が分かれたとのこと。BLOGOSに、かんたんな「まとめ」が載っていました。
この「親の体罰禁止」、実は国より先に東京都で条例が成立しそうな情勢で、今月末の都議会本会議で可決成立すれば、四月(来年じゃなくて今年の)から施行されるんだそうです。
条例案では体罰の具体例は示されておらず、罰則もないものの、保護者に対し「しつけの際に子どもに肉体的、精神的な苦痛を与える行為を禁止」するとのこと。一方で国は今後、法律で禁じる「体罰」の範囲について指針で定めるようで、その際には教員による児童や生徒への体罰を禁止した学校教育法に基づいて、文部科学省から既に出されている「通知」が参考にされるよし。そこでは殴る・蹴るといったあからさまな暴力のほか、「長時間正座させる」など肉体的な苦痛を与えるものを体罰と定義しているのだそうです。
「通知」はこちら。下の方にある別紙「学校教育法第11条に規定する児童生徒の懲戒・体罰等に関する参考事例」の中に具体例が列記されています。
体罰の禁止及び児童生徒理解に基づく指導の徹底について(通知):文部科学省
この具体例の中で「正座」については「宿題を忘れた児童に対して、教室の後方で正座で授業を受けるよう言い、児童が苦痛を訴えたが、そのままの姿勢を保持させた」と例が挙げられています。うん、確かにこれはひどいと思います。でも、政府が目指している法律の改正案では教育現場のみならず、親による子どもへの体罰、つまり家庭での教育・しつけについても何らかの対策が(罰則も含めて)取られるんですよね。
家庭での虐待事件がたびたび明るみに出る昨今、こうした施策は当然だと思いますが、私はこのニュースに接して、能楽師の皆さんは(というか伝統芸能全般だと思いますが)どう思われるかしら、と想像してしまいました。だって、お能の稽古は、特に謡の稽古は基本ずっと正座しっぱなしですから。『ドグラ・マグラ』などで有名な作家・夢野久作氏は幼少時代に能楽喜多流の稽古を受けていて、その体験が『梅津只圓翁伝』に記されています(青空文庫で読めます。ちなみにこの評伝はホントに名文)。ここに描かれている稽古風景など、現代の感覚からすれば体罰にかなり近いと見なされてしまうのではないでしょうか。
https://www.irasutoya.com/2018/10/blog-post_930.html
かくいう私も、お稽古の時はかなり正座がきついです。板の間に座布団もなしで長時間座るので(時に緋毛氈が敷かれることもありますが)、十分間ほども座っているとかなり足がしびれ、痛くなってきます。お師匠は私たち素人にはお優しいので「休んでいる間足をくずしていいですよ」と言ってくださいますが、プロの能楽師はそうもいかないでしょう。特に能の本番で地謡をつとめるときなど、最低でも一時間、あるいはそれ以上の長い時間正座していなければならないのです。
私は一度だけ能の本番(といっても素人の発表会ですが)で地謡をつとめたことがあります。都合一時間十五分くらい正座で通しましたが、謡を全部覚えるのもさることながら、最後に舞台から捌ける際に立ち上がれるかどうかが一番の心配でした。この点はプロの能楽師も同じだそうで、稽古の際に正座に関してのいろいろなコツというか「裏技」のようなものを教えていただきました。
まず、正座した足の親指を重ねるようにして座ります。そして、地謡には何度か扇を置いて手を袴の中にしまい「待機」の姿勢を取る時間帯があるのですが、その扇を置くときや、また歌い始める前に取るとき、その前屈みの姿勢を利用して重ねた足を入れ替えるなどしてしびれた足の血行を取り戻すのです。重ねて上になった足先を下になっている足首の先に出すようにしてぶらぶらとさせ、血行を取り戻すという「技」もあるそうです。あるいは足がしびれたら、しびれるまましびれ切らせちゃって、最後に片膝をついて立ち上がる際、にぐーっと伸ばして「えいやっ」で立ち上がる……という一種の「賭け」に出る方もいらっしゃるとか。
う〜ん、能楽師も人間ですもの、皆さんそれぞれに苦労されているのですね。たまーに若い能楽師さんなんかで、舞台から捌ける際に足がしびれて上手く歩けなくなっちゃってる方がいますが、あれはそうした「裏技」がまだこなれていないということなんでしょうか。「親による子どもへの体罰禁止」というニュースに接して、幼少の頃からお稽古に励むのが通常の能楽師のお子さんに、板の間の舞台で長時間正座をさせるのも体罰だと言われてしまったらどうするかな……などと考えてしまいました。
ちなみに中国語圏の方って正座が苦手という方が多いような気がします(あくまで私個人の経験)。まあ中国語圏に限らないかもしれませんが、普段の生活で正座することが少ないので慣れていないというのもさることながら、膝をついて座る、跪く(ひざまづく)というの(中国語は “跪下” )は、相手に対して絶対的に服従する、許しを請う……というニュアンスが濃いので、肉体的にだけではなく精神的にもイヤみたいなんですね。もちろん日本の文化に接するときにはみなさん面白がってやりますけど、あれもあくまで「非日常」を楽しんでいる範囲だからなんだろうな……と思っています。