インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

生きるための筋肉

筋トレをするのは「生きるための筋肉」が必要だからーー。雑誌『CREA』のweb版で、作詞家/ラジオパーソナリティ/コラムニストのジェーン・スー氏がそう書かれていました。心から同感です。私もこのブログで同じことを伝えたいと駄文を少なくとも10本は書き連ねてきましたけど、それらとはまったく違って、ジェーン・スー氏のこの文章は簡潔にして訴求力抜群(つまり読んでいて楽しい)。プロの書き手の文章とは、こういうものなのですね。

crea.bunshun.jp

これが老化か、と伏し目がちに生きていたら、ダンサーだった女友達が知らないうちにパーソナルトレーナーになっていた。そして、思い通りにならない体を持て余す私にド正論を吐いた。「ムキムキになるためじゃないよ。スタイルをよくするためでもない。これからの私たちには、明日を生きるための筋肉が必要なんだよ。もっと切実な話なの」。

不定愁訴に悩まされQOLがだだ下がりになって、やむにやまれず筋トレを初めて三年あまりになります。「これからの私たちには、明日を生きるための筋肉が必要なんだよ。もっと切実な話なの」。私の言いたいことはこのフレーズに集約されています。

慢性的な肩こりや腰痛に始まり、身体のあちこちに痛みか、痛みとまでは行かなくても違和感がつきまとう。階段を上るのが面倒になり、パクパクとたくさんの量を食べられなくなり、少しの酒量で酔ってしまい、眠りが浅くなり、トイレが近くなる。眠気にダルさに膨満感。四十肩から五十肩、原因不明の(レントゲン写真を撮っても何も見つからない)腕の痛み……。

もちろん個人差は大いにあると思います。そんな諸症状とはまったく無縁だよという方もいらっしゃるのかもしれません。でも中年にいたって自分の身体に次々と現れてきた、こうした一連の変化(弱化?)は本当に予想外のものでした。いや、でも、実は世の中の多くの人がバリエーションやラインナップの差こそあれ、同じような変化(老化?)を経験しているはず。そして、そのなかの少なからぬ人がそうした貴重な経験を発信し、警告を発していたはず。

なのに若い頃の私は、そうした警告なり警句なりに一切気づくことなく中高年にまで至ってしまったわけです。いや、たまさか気づいても、その重要性を認識できなかったということなのかもしれません。「また年寄りが何かブツブツ言っているな」といった感じで、心の底にまでは届いていなかったんでしょうね。結局人間は「我がこと」とならなければ物事の真意をまともに受け止めることはできないんでしょう。でもそれじゃあまりにも愚かすぎる。

その意味で、ジェーン・スー氏のこの文章が、まだ変化や弱化や老化をみじんも感じていない年齢層の方々に届けばいいなと思いました。私はいまでは毎日一時間は身体を動かしていますが、なにせ始めたのは50歳を過ぎてからです。何事も始めるのに遅すぎることはないとはいえ、これだけはちょっと遅すぎたと後悔しています。せめてあと10年、いや5年早く始めていたら、もう少し違っていただろうな。そう思っても詮ないことですが。

というわけで、40代のみなさん、ぜひ運動を。できれば筋トレを。お節介であることは重々承知していますが、それでも。

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https://www.irasutoya.com/2013/03/blog-post_5566.html