インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

「自炊する・しない」をめぐって

いつも拝見しているこちらのサイト、とても共感できる部分が多くて記事の更新を楽しみにしているのですが、先日も興味深い記事が掲載されていました。「自炊」についての本を紹介した記事で、自炊が何より自分の体を気遣う行為であることを主張しつつも「パターナリスティックに『料理あたりまえ』と強制するのは論外」とおっしゃる……内容の本を紹介している記事(ややこしくてすみません)です。

slowinternet.jp

確かに、食の有り様は人それぞれ。自炊しなくてもいい環境ならしなくてもいいし、したい人はしたいだけすればいいんですよね。私自身は高校生の頃から自炊を始めて、もはやこれなしに自分は暮らせないと思います。だから出張や旅行などで比較的長期にわたって自炊ができないと、だんだん疲れてくるのを感じます。そう、自炊以外の外食は疲れるのです。

もとより、外食やコンビニ食、ファストフードなどはいずれも「味が濃すぎ」てかなり苦手なため、それでほとんど自炊になっちゃったということもあります。ファストフードのハンバーガーとか、〇〇屋の牛丼とか、記憶にある限りもう20年くらい食べていないと思います、とこないだジムのトレーナーさんに話したら驚かれました。

でもまあ、これもまたそれぞれの食の有りよう。私だってもちろん忙しいときには外食やコンビニ食時をやむを得ず利用しますが、「やむを得ず」という心理が作用するのか、あまり心身ともに喜べないのを実感します。それと、これは以前にも何度か書いたのですが、外食にせよ、コンビニ食や市販の加工食品にせよ、「おいしすぎて、おいしくない」のです。いろいろな味がしすぎるというのが。けれど、何もかも素材から作っていたらいくら時間があっても足りないので、現実的なところで妥協はしています。

qianchong.hatenablog.com

ただ、これもジムのトレーナーさんからうかがった話ですが、アスリートでも、ボディビルやエアロビックダンスのプロでも、トップに行く人、行ける人は食へのこだわりというか、食への注意がとても繊細なんだそうです。科学的な根拠はないけど、あとコンマ何秒とかの成績を分けるのは、そういう食のこだわりかもしれないとおっしゃっていました。……と書いていたら、偶然こちらの記事を見つけました。「人の身体は口から摂取した食べ物で作られています。だからこそ食べ物に対する意識を高く持って欲しいんです」。

nishiogibiyori.com

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https://www.irasutoya.com/2014/10/blog-post_876.html

ところで、冒頭の記事を読んだ時、この記事を載せているサイトの主宰氏が記事の紹介で「僕は人生でほとんど自炊をしたことがない」とおっしゃっていて、少なからずショックを受けました。いえ、自炊するかどうかはその人の自由ですから、もとより「パターナリスティックに」あげつらうのはいけないと思います。

ただこの方がふだん、これまで築き上げられてきた都市の文明とはまったく違った文脈で「人間と自然との関係を再考したい」と展開されている主張に少なからず心を動かされていた私としては、自炊という暮らしのおおもとについてそこまで無頓着でいいものなのだろうか、そうした足元の暮らしから乖離した「人間と自然の関係」論とはどれだけの実体を伴うことができるのだろうか……と懐疑的になってしまったのでした。