インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

スマホは「誰かに消費される」ためのツール

以前、カル・ニューポート氏の『デジタル・ミニマリスト』という本について文章を書きTwitterにも感想をつけて投稿したら、出版元の方から「この感想を本の帯に使わせていただけませんか」と連絡がありました。そこで「どうぞお使いください」とお返事したところ、先日出来上がったその帯をわざわざ送ってきてくださいました。早川書房さん、ごていねいにありがとうございます。

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感想に書いた通り、この本を読んで私は「よりよい人生とは、人間らしい暮らしのあり方とは」と以前にもまして考えるようになりました。なにしろつい最近までの私は、スマホSNSに心も時間も持って行かれていて、それこそこの本の副題のように「本当に大切なことに集中」できていなかったのです。そういえばこの新しい帯(全面帯)では「本当に大切なことに集中する」という副題のほうが大きく印刷されていますね。たぶん「ミニマリスト」ないしは「ミニマリズム」よりも、よりこの本の本質を突いているからではないかと思います(原題は“Digital Minimalism: Choosing a Focused Life in a Noisy World”)。

Twitterは現在でも利用しているのですが、自分からつぶやいたり、他の方のつぶやきに乗っかってつぶやくことはなくなりました。ブログの記事を流すのと、そこにいただいたコメントにお返事を返すだけです。その他のSNSは一切やめてしまいました。スマホ自体も使う頻度が減り、特に電話やメッセージアプリはほぼ家族とのやり取りにしか使わなくなりました。特に音声の電話はかかってくるのもかけるのも大の苦手なので、iPhoneのおやすみモードなどを使って、プライベートな時間には一切の通知が来ないようにしました。スマホのアプリも必要なもの以外整理して、もはやホーム画面はこんな感じです。

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こうなると、もうスマホじゃなくてもいいような気さえしますが、ブラウザでの検索はそこそこやりますし、地図機能や移動の経路案内などが便利ですし、それに語学系のアプリは常に使っているので、まあこんなところかなと。

それにしても、スマホSNSというのは、この本でも触れられている通り、徹底してわれわれに何かを消費をさせるように作られている仕組みなんですね。動画視聴やゲームなどはとてもわかりやすい「他律的な消費のされ方」ですが、何かを調べようという自律的な検索だって、よほど気をつけていないとあちこちのリンクに飛んでしまい、「注意経済(アテンション・エコノミー)」に取り込まれてしまいます。それほどネット上には私たちの「注意」を喚起する「経済(お金儲け)」が溢れてる。いまほど私たちの自覚が試されている時代はないんじゃないかと思います。

最近「若者のパソコン離れ」という話をよく聞きます。スマホで何でもできてしまうのでパソコンを使う必然性がなくなってきたとか、貧困化でそもそもパソコンが買えないとか、ちょっと検索すればネット上には様々な分析が見つかります。確かに、私が勤めている学校の留学生諸君にも、キーボードのタイピングができないとか、パソコンのソフトが使えないといった方はけっこういます。その一方で課題のプレゼン資料をスマホだけで作って提出してくる、老眼の私にはちょっと信じられないような留学生もいます。

私自身がスマホの多様な機能をそれほど使いこなしているわけではないので、あまり断定的なことは言えないのですが、基本的に消費のツールであるスマホしか使わず(使えず)、生産のツールたるパソコンを使わない(使えない)というのは、長い目で見るとかなりまずいことになるんじゃないかなと思います。先日読んだこちらの記事では「経済協力開発機構OECD)の調査によれば、日本の16歳〜24歳までの若者のパソコン利用頻度は、OECD加盟国中最低水準だったことが明らかになるなど、若者のパソコン離れが深刻化しています」と書かれていました。

……う〜ん。確かに、学生時代に「やっつけ」で課題の提出をするくらいならスマホでも可能でしょうけど、社会に出て仕事をする段階になってもパソコンが使えないというのはけっこう深刻な問題かもしれません。