インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

デジタル・ミニマリスト

線を引く、付箋を貼る、ページの端を折る……本を読んでいるときに何か心に響くものを感じて、こうしたことをやっている方は多いと思います。あるいは読みながら考えたことをメモ帳に書いておくとか。ところが年に何度か、そうした行為が追いつかなくなるほど心に響きまくる本に出会うことがあります。私はいつも薄い小さな付箋を貼るのですが、そんな付箋で本が膨れ上がらんばかりになり、まるで全編が自分に向けて書かれているように感じてしまう。きっとそんな本が自分にとっての「良書」なのでしょう。

不思議なことにそういう「良書」は、ネットで書評を読んだり、Amazonなどでたまたま「おすすめ」に出てきたりして購入したものより、なんとなくぶらっと書店に立ち寄って買い求めたとか、図書館でタイトルや装幀にひかれて「ついで」に手にとったような本に多いのです。とある駅ビルの、時間つぶしのために入った書店で見つけたカル・ニューポート氏の『デジタル・ミニマリスト』もそんな一冊でした。

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デジタル・ミニマリスト: 本当に大切なことに集中する

帯の惹句には「デジタル片づけ」とか「テック界の『こんまり』」などと書かれており、書名にある「ミニマリスト」とも相まって*1、最初手にしたときは「ああ、また断捨離系のライフハック本かしら」などと思ってしまいました。

私は基本的にあまりモノを持たないシンプルな暮らし方が好きで、その意味では断捨離やミニマリズムにも共感するところしきりなのですが、自分でも実践してみて悟ったのは、行き過ぎた片づけやミニマリズムは却って人間の感性を脆弱にするのかもしれないという点でした。人間はもう少し複雑かつ矛盾を抱えた存在であり、あまりにも理詰めでシンプルを突き詰めていくと、生きる気力のようなものが減退したり、周囲(家族や友人や同僚など)との無用な軋轢を生んだりする……というのが、いろいろ実践してみた上での私なりの結論です。

だから最初はこの本にもやや醒めた視線を送っていました。でも書店で手にとってパラパラと眺めてみると、飛び込んでくる記述がひとつひとつ心に響くんですね。こういうのが「本に呼ばれる」という感覚なのでしょうか。そして、これは単なるライフハック本ではなく、筆者はもっと深い哲理を語っているのだと気づいてすぐに購入したのでした。ベースにはスマホ依存からの脱却が大きなテーマとして据えられているのですが、話はそこだけに留まっていません。

折しも私は最近、ネットとのつきあい方、とりわけSNSの使い方に大きな問題を感じていました。ふと気がついてみると、一日のうちのかなりの時間をネットでの検索や閲覧に、それもあとから考えればさして重要でもない事柄に費やしていたのです。またスマホを手放せず、絶えずSNSをチェックしたり、動画を見たり、音楽を聴いたりしており、しかもそれらをじっくりと読んだり見たり聴いたりではなく、ポンポンと読み飛ばし、見飛ばし(という言葉はないか)、聴き飛ばしている自分にも疑問を感じていました。

それでほとんどのSNSを退会し、Spotifyのような音楽配信サービスもやめました。とはいえこのブログを書き続けていることもあって、結局それをTwitterにも流し、折に触れて反応をチェックし、コメントに対応し、アクセス数に一喜一憂する……みたいなことを続けていました。それでも自分は移動中にスマホでやっているのは語学の練習か謡曲を覚えることくらいなので、まだマシかな、自分はSNSスマホの中毒ではないよね、と思っていたのです。

qianchong.hatenablog.com
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でも、やはりまだ何かしっくりこない。そんなモヤモヤを抱えていたところ、この本に「呼ばれた」のです。この本では、今まで私が考えてきたことを「それでいいんじゃないかな」とお墨付きを与えてくれただけでなく、そんな個人レベルの話をはるかに超えた巨大ネット産業の構造、特に「注意経済(アテンション・エコノミー)」と呼ばれる産業構造が、いかに金銭的な利益のために人間の心理的弱点を利用しているかについて、驚くべき(しかし冷静に考えればもっともな)事実を教えてくれました。

詳細はぜひ本書にあたっていただくとして(なにせ貼った付箋の数が膨大で、とてもじゃないけど紹介しきれません)、ひとつだけ。この本はよくあるタイプの自己啓発本などでは全くなく、むしろ「デジタル片づけ」を出発点としてよりよい人生とは、人間らしい暮らしのあり方とは……と問いかける哲学書のような趣きです。しかもそれがここ十年から二十年ほどの間に起こった人類史的には大事件といってもいいほどのネットの深化とスマホの発展を踏まえて、今とこれからにおける私たちのあり方を考察する内容にもなっています。

翻訳もとても読みやすく、訳注もとても親切です(翻訳者は池田真紀子氏)。それだけに、巻末に付されている著名なミニマリスト氏による解説は、こう言っては大変失礼ですが、本文の内容をなぞっている読書感想文のような体で少々残念でした。ここはやはり、翻訳者ご自身による解説が欲しかったなあと思います。

*1:原題は『Digital Minimalism』ですが、なぜか「ミニマリスト」となっています。