インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

語学と教養は裏切らない?

いま勤めている学校では「クラス担任」というものを拝命しております。うちは専門学校でして、通っている留学生諸君は全員二十歳代から三十歳代の成人です。義務教育ではなく、大人が自分の意志で学びを選択する場所なので、いわゆる生活指導的な役割を果たす「クラス担任」などいらないんじゃないかと個人的には思っているのですが(進路指導や、在留資格などの事務手続きについては別の専門職員がいます)、まあそこはそれ、学校全体の教育方針もありまして、様々な通知や出欠管理など日常的な業務の他に、学習や生活上のお悩み相談的な役割も受け持っています。

現在担当している留学生のみなさんは、とても真面目でほとんど手がかからないのですが、ひとりだけ出席率の芳しくない台湾人留学生がいまして、先日教員室へ「呼び出し」ました。最近の休みがちな状況について「どゆこと?」と問いただしてみたわけです。学生時代にはちょくちょく「呼び出され」ていた私が「呼び出す」立場になるなんて感慨深いものがあります。とまれ、ご承知の通り、留学ビザで日本に在留している外国籍のみなさんは学業が本分ですから、学校の出席状況や資格外活動(アルバイトなど)についてはけっこう厳しい規定なり縛りなりがあるのです。

話を聞いてみて分かったのは「とある資格試験を受けるために勉強していて、さらにアルバイトもやっているので、忙しくて……」ということでした。それでちょくちょく遅刻したり、欠席したりしていたわけです。その資格はアルバイト先の業務に関連するものだそうで、さらにはそのアルバイト先の会社が卒業後の就職先になるかもしれないということで、いま必死で頑張っているとのことでした。

なるほど、と背景は理解しました。しかしまだまだ日本語も拙くて(だいたい上記の状況説明も「センセ、中国語で話していいですか」だったのですから)、だからこそ学校に通って、仕事に使えるレベルの日本語までブラッシュアップしようとしているのに、それもそこそこに資格試験を目指し、アルバイトを就職先にしようと画策している……焦る気持ちはよくわかりますが、ちょっと二兎も三兎も追いすぎじゃないかな、と思いました。

日本の社会や経済がこんな「体たらく」でも、卒業後は日本に残って働きたい、あるいは日本と関係のある母国の企業に就職したいと希望してくださる留学生は多いです。ありがたいですが、そうした留学生が日本で就職活動をする際に、一番大きなアドバンテージになるのは何だと思われますか。それは、聞き手にストレスを与えない日本語ではないかと思います。

もちろん専門の知識やスキルも必要ですし、本来であれがそれこそが重視されるべきなのですが、実際には専門の知識やスキルよりもまず、自然でなめらかな日本語のアウトプットが重宝される傾向にあることは否めません。日本社会は、社会全体をほぼモノリンガルで回すことができ、したがって「外語を学び、複数の言語をスイッチしたり母語と外語の往還をしたりする、その難しさや奥深さを分かっている」という方が圧倒的に少ない。そんな日本では表面的な日本語の聞きやすさに偏って採用を決めるケースがけっこう多いように思われます(決して良いことだとは思いませんが)。

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くだんの留学生は、日本語の実力的にはまだまだ発展途上で、お世辞にも流暢とは言えません。だから「もっと腰を据えて日本語力を強化したほうが、あとあと自分のためになりますよ」と分かってもらいたかったのですが、とにかく就職先の「内定」が欲しくて資格試験突破に前のめりになっている彼には、あまり通じなかったようでした。こうした二兎も三兎も追う、あるいは虻と蜂を同時に追うような方は存外多いです。

大学の教員をしている知人によれば、現在は大学生でも、一年次からダブルスクール的に資格試験の学校に通っている人がまま見られるとのことです。非正規雇用の増加など、就活生が前のめりになる要素が満載のこの時代ならではとは思いますが、学生時代に養うべきなのはそんな小手先のスキルなのでしょうか。

かつて、故・瀧本哲史氏が『僕は君たちに武器を配りたい』で喝破されたように「コモディティ化」した資格で予防線を張るよりも、日本語(留学生の場合)や、教養(リベラルアーツ)を深めることこそ大切なのではないでしょうか。それが一見迂遠なようで、実は自分の将来を大きく開くための「武器」になるのではないかと思うのです。

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僕は君たちに武器を配りたい

資格試験に前のめりになる学生に話を聞いてみると「なぜその資格なのか」を考え抜いている方が少ないことに驚きます。就職に有利だから、みんなが目指しているから、人気の資格だから……理由は様々に語るのですが、AIの進化で、かつては就職先人気ランキングのトップだった銀行や証券会社の斜陽が伝えられ、医師や弁護士、会計士といった難関資格でさえその現在と未来が決してこれまでと同じではないことは、ちょっと新聞や最新の書籍にあたってみれば分かることです。

それに比べて語学(資格の数やスコアではなく、本当に使える「肉体化」された語学)と教養は、一生あなたを裏切らないと思いますよ……と言ってあげたいのですが、「高学歴ワーキングプア」などという言葉まで生まれている現在の日本社会を前にした学生のみなさんには、うつろに響くだけなのかもしれません。