職場の図書館で見かけた雑誌『キネマ旬報』9月下旬号が「1990年代外国映画ベスト・テン」という特集を組んでいました。表紙の写真からして楊德昌(エドワード・ヤン)監督の『牯嶺街少年殺人事件』だったものですから、「おおっ!?」と惹きつけられて読んでみたのですが、なんと同作が『キネマ旬報』の連載陣103名によるアンケートで第1位に輝いたのだそうです。
たしかにこの作品、私も思い出深い映画ですし、名作だとも思いますが、洋画も邦画も含めた当時(1990年代)のあらゆる映画の中で映画人が推すナンバーワンというのはちょっと意外でした。……にとどまらず、第4位には王家衛(ウォン・カーウァイ)監督の『欲望の翼(阿飛正傳)』、第8位に陳凱歌(チェン・カイコー)監督の『さらば、わが愛/覇王別姫(覇王別姫)』、同率第9位にやはり王家衛監督の『恋する惑星(重慶森林)』と、ベスト・テンに4本も中国語圏の映画がランクインしているのです。
元『キネマ旬報』編集長の関口裕子氏は「90年代は、興行でも、日常の話題でも、ハリウッド映画が圧倒的存在感を示した」と書かれています。ベスト・テンにランクインしている『許されざる者』『ファーゴ』『ショーシャンクの空に』『羊たちの沈黙』など、確かに今でももう一度観たくなるハリウッドの名作揃いなのですが、その一方で中国語圏の映画が当時こんなにヒットし、今に至るまで語り継がれているというのは、ちょっと感慨深いものがあります。今や何語圏の映画だとか、ましてや洋画だの邦画だのという「くくり」はあまり意味を持たないとは思っているものの……。
アンケートの詳細を追ってみると、他にも多くの評者が中国語圏の映画をベスト・テンに挙げています。『エドワード・ヤンの恋愛時代(獨立時代)』『太陽の少年(陽光燦爛的日子)』『愛情萬歲』『熱帶魚』『ブエノスアイレス(春光乍洩)』『宋家の三姉妹(宋家皇朝)』『乳泉村の子(清凉寺的鐘声)』『秋菊の物語(秋菊打官司)』『憂鬱な楽園(南國再見,南國)』『初恋のきた道(我的父親母親)』『一瞬の夢(小武)』……などなど、どれもこれも当時自分が貪るように見た作品の数々で、とても懐かしく思いました。1990年代という「くくり」をもう少し前の時代にまで広げれば、『紅いコーリャン(紅高粱)』や『芙蓉鎮』など、さらに多くの中国語圏の名作映画が挙がってくると思います。そういう熱い時代だったんですね。
いや、熱い時代だったというのは日本の観客である私の一方的なものいいでしょう。ご存知の通り、その後も中国語圏の映画は様々な名作を生み出してきましたし、最近ではハリウッドを凌ぐような、あるいはハリウッドがその存在を無視できないような作品が作られ続けています。さらにはハリウッド映画が巨大な中国市場を意識せざるを得ない状況も。そう考えるとむしろ興味深いのは、なぜ1990年代の私たち日本人の心に、あれほどまでに中国語圏の映画が「沁みた」のか、そしてなぜいまはそれほど「沁みなくなった」のかという点です。
先日も書きましたが、これは音楽の世界でも似たようなことが起こっています。もちろん現代でも人気の中国語圏アーティストはいますから、そうしたアーティストのファンからは叱られるかもしれないけれど、1990年代の一時期、C−POPブームは今とは比べ物にならないくらいの盛り上がりがあったと記憶しています。規模がまるで違うという感じ。
それまでレコード店(CDショップか。いずれにしても死語に近いですね)では「ワールドミュージック」としてひとくくりにされ、それも琴や琵琶などの伝統音楽か、そうでなければテレサ・テンかジュディ・オングかといったレベルの品揃えから、いきなり棚のひとつ分、ふたつ分、みっつ分……というようにC−POPの売り場が増えていった、香港の大物歌手が相次いで日本ツアーを行った、そういう時代があったのです。
当時中国語の小さな新聞社に勤めていて、主に日本人の中国語圏カルチャー好きのための記事を作っていた私は、そんな盛り上がりを肌で感じながら仕事をしていました。映画やコンサートで来日する明星(スター)の取材でも、取材者同士の熱気や「我先に感」がひしひしと感じられたものです。そこへ行くと現在は、もちろん台湾のドラマなど一部で人気ではありますが、当時の盛り上がり、特に中国大陸発の文芸作品に見られた「なにかとんでもないことが起こっている感」はかなり薄まってしまった、ほとんど感じられなくなってしまったという気がします。
これはどうしてなんでしょうね。もちろん現代においては、ネット動画などの発展で映画という娯楽自体がかつての位置づけから変容してきていますし、中国や台湾など中国語圏の社会や経済も1990年代とは大きく異なっています。特に中国は、端的に言って、もはやあの圧倒的な文芸映画・芸術映画の数々を生み出した「うねり」のようなものが失われ、ある意味映画の規模は拡大しても、映画の作り方は政治的・経済的な背景からきわめて「内向き」になってきたからかもしれません。
そして一方で受け取る側の私たちの、中国語圏に対する見方・考え方、そして感じ方が大きく変容したことも関係あるかもしれません。私自身、ここ十年ほどは中国語圏の映画の忠実な鑑賞者ではなくなっているのですが、あれだけ夢中になっていた中国語圏の映画にときめかなくなったのは、そういう社会の雰囲気と自分がリンクしているからなのかなと思うのです。変わらず夢中で楽しんでおられる*1方々からは単なる牽強付会だと言われるかもしれませんが。