バイクで澎湖島の何の変哲もない県道をながしていたら、このような看板が。
日清戦争(甲午戦争)の際に、日本軍が上陸した地点に立てられている記念碑です。住宅街のはずれの、静かで寂しい場所に立っていました。
詳しい説明書きもあります。日清戦争後の、下関条約(馬関条約)調印は1895年4月17日。ここ澎湖島の林投に日本軍が上陸したのはそれより前の3月23日と書かれていますから、台湾の日本への割譲が決定する前なんですね。およそ五十年間に及ぶ、日本による台湾の植民地支配はここから始まったとも言えそうです。
もうひとつ、近くにある別の記念碑も見に行きました。こちらも同日に日本軍が上陸したと書かれています。隣には「臺灣光復紀念碑(台湾の独立回復記念碑)」も立てられていました。
このふたつの記念碑、碑文は「抗戦勝利紀念碑」となっています。これに関しては以前こんな報道がありました。
戦後、中華民国が日本を打ち負かしたのだという多分に政治的、あるいはプロパガンダ的配慮からこのような碑文になっているわけですが、それでは日本軍が澎湖を侵略した歴史がきちんと伝わらないとして、もとの「明治二十八年上陸記念碑」に戻すよう住民が求めている、という報道です。
ひとりの日本人として、澎湖を訪れる際にはぜひ一度立ち寄って、これまでの歴史を反芻すべき場所だと思います。