高雄からプロペラ機で澎湖に飛びました。高い山が全くない、平べったい環状の島、澎湖(大昔にできたカルデラ火山の外輪山だそう)。何度来てもその抜けるような解放感に強く惹かれます。海と空が、いちだんと広く大きく感じられるのです。
今年はもう、民宿に蟄居して、時々バイクで街に出かける程度の自堕落な滞在にしようかなと思っていましたが、友人のすすめもあって、離島・澎湖のそのまた離島を訪ねる半日ツアーに参加してみました。澎湖本島の南端、風櫃の沖にある虎井嶼を夕方から夜にかけて訪れるという「夜訪虎井慢食小旅行(スローフードとともに楽しむナイトツアー)」です。
馬公市の港を出発して30分ほど、虎井の集落は本当にごくごく普通の漁村の風景。暑いので(とはいえ海風が心地よい)、人もほとんどいません。すてきです。
島の警察署には、署長と巡査の二人しかいないそうです。それでも犯罪なんかまず起きないので、暇で暇でしょうがないって。
ツアーガイド氏によると、虎井嶼は人の数より猫(それも野良猫)の数の方が多いらしく、「猫島」とか「喵星人島*1」などと呼ばれているそうです。ちなみに台湾の方はみなさん猫のことを「貓咪」と呼ぶんですね。
水資源に乏しい離島のこと、水道水が引かれるまで、真水がわく井戸は島民の命綱でした。この島が「虎井」と呼ばれるようになった理由は諸説あるそうで、かつて子供が井戸に落ちて亡くなる不幸があったので、子供が近づかないように「井戸には虎が住んでいる」と言って注意をうながしたとか、台湾語の「好井(良い井戸)」が訛ったとか、ツアーガイド氏がいくつかの説明をしてくれました。
こちらは個人宅の井戸。壁に「好井」と書かれた板がかかっています。
地元の少年が「僕の方が詳しい」とガイドツアー氏の話をたびたびさえぎりつつ乱入してくるので笑いました。
こちらは公共の井戸。島にはあちこちにこうした井戸があるそうです。水は底の方に少ししか見えませんでしたが、多いときには井戸の八分目くらいまで水が上がってくるとのこと。
伝統的な閩東式の住居は徐々に朽ち果てて行きつつありますが、それでも往事の面影を残しているところがあり、ガイドツアー氏から詳細な説明を聞きました。
窓の棧に練り込まれた陶器やガラスの破片がとてもポップです。
こちらは壁の上に色とりどりのタイルが嵌め込まれ、その下の長押の部分が細い庇のように僅かに出っ張っています。これは小鳥が止まれるようにしてあるそうで、小鳥が止まりに来る家は安全で運気が良いという考え方に基づくそうです。
壁の下に扇型の意匠があり、またこの下の写真では門柱の上に擬宝珠のような屋根が乗っている意匠を見ることができます。
これらは伝統的な閩東式の住居とはやや趣が異なるそうで、それはかつてこの地を日本が統治した際に日本的な意匠が持ち込まれた結果なんだそうです。
第二次世界大戦時にはここ虎井嶼にも「南進指揮所」が置かれていたよし。真珠湾攻撃の際に打電された暗号「トラ・トラ・トラ」は虎井嶼に由来するという説もあるそうですが、これはどうやら「まゆつば」のようです。
漁村の集落を見下ろす高台へ向かう道の途中で、ピクニックシートを広げ、海を見ながらお茶の時間。たった一人の日本人を気遣ってか、ツアーガイド氏が台湾人の青年に声をかけて一緒のシートに座らせてくれました。
高台へ向かうこの道も日本軍が建設したものですと聞かされて、再度、いや、台湾を旅していると各地で感じるのですが、かつてここまで出張ってきちゃっていたんだなあ日本人……と何だか申し訳ないような気持ちになります。
友人も含め台湾の人々は、いやそれは歴史の結果だから、日本による統治には良い悪いを含めて色々な側面があるから、と言います。今回のツアーガイド氏もそう言っていましたが、私はやはりどこかむず痒くしっくりしない感じが抜けません。でもまあ大切なのはそうした思いを今とこれからにどう活かすかですよね。
そのあと高台のてっぺんまで移動して、日没を待ちました。母上と参加されていた台湾の高校生が「福岡に留学中なんです」というので、日本語でしばらく話をしました。高校生で留学というのも珍しいですが、野球をやるために三年間留学して、今後は日本の大学でも野球を続けるそうです。へええ、そういう留学の形もあるんですね。
タンクの前に野生の山羊。
youtu.be
日が沈んでから集落に戻り、晩ごはん。どれも薄い味つけでこのツアーの「売り」であるスローフードの面目躍如。おかわり自由の「滷肉飯」と、とくにこの「魚湯」も本当に美味しかったです。
食後にサボテンとハミウリのアイスまで食べてしまいました(こちらはオプションなので、自費で)。
漁村の夜は、とても静かです。
派手なところは全くないけれど、とても深い味わいの残るツアーでした。こういう、ある意味地味なツアーが成立するというのも、ちょっとした驚きです。あまりお金をかけなくても、こういう休日の過ごし方があるんだ、という。
馬公の港に戻って、解散。お茶の時一緒のシートに座ってくれた台湾人青年(澎湖諸島の東吉島出身だそう)とは「東京に来たらぜひ連絡してね」とラインのIDを交換して別れました。
参加したツアーは、こちら。