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しまじまの旅 たびたびの旅 76 ……望安嶼の古民家群と特攻艇

澎湖諸島の離島めぐり、今度は観光客向けのツアーではなく、一般の交通船で望安嶼に渡ってみました。澎湖本島と七美嶼の間にある、比較的大きな離島です。交通船の切符売り場は観光ツアーの拠点「南海旅遊中心」の隣にあります。切符を買うときは飛行機同様に身分証明書(外国人の場合はパスポート)が必要です。

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観光ツアーで使われる小型のクルーザーに比べると、交通船は大きいので、ほとんど揺れません。一応酔い止めの薬も飲んでおいたのですが、杞憂でした。船内もこんなにきれいで快適です。

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望安嶼の港に着いたらバイクを借りて、まずは伝統的な古民家群の再生が続けられている花宅の集落へ向かいます。

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とにかく日差しが強烈で暑いこともあって、誰もいません。静かで美しい古民家群。細部の装飾も美しいです。

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窓のデザイン。花模様もあれば、よく見かける「雙喜」もあります。

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こちらはその家の姓をかたどったもの。「曽」さん宅ですね。

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この集落では、一度は朽ち果ててしまった古民家を、地方自治体が持ち主とも交渉しながらひとつひとつ再生しているそうです。再生にあたってはなるべく素材をそのまま活かして使うようにしているとのこと。

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こちらの廃屋の、屋根の上に繁殖しているのは「銀合歡」という植物です。日本統治時代に持ち込まれた外来種で、繁殖力が極めて強いため現在では澎湖諸島全域で見られます。一種の毒を持っており、他の植物の繁殖の妨げになるので、駆除が続けられているとか。

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こちらは「仙人掌(サボテン)」。これはかつてオランダ人が持ち込んだそうで、やはり繁殖力が強く、澎湖諸島全域に広く分布しています。サボテンはアイスクリームなどに利用されて澎湖の名物にもなっていますが、この銀合歡とサボテンが、古民家にとっては石組みに根を張って崩壊を招く元凶なんだそうです。

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捕った小魚をすぐに茹でるための「魚灶(かまど)」がありました。今は工場に運ぶそうですが、昔は新鮮なうちに茹でるため、浜辺のすぐそばにこうした釜がたくさんあったそうです。ここにもサボテンが。その一方で、きれいに復元された物もありました。

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集落の売店で「爆米花球(甘いポップコーンを固めたようなもの)」と「黑糖粿(黒砂糖の蒸しパン)」を売っていました。

一つずつ買い求めたついでに、お店のおばさん、おじさんと話をして、「この島にもかつて日本軍が作った施設の遺跡があるよ」と教えてもらいました。私が「日本人が、ここまで出張って来ていたんですねえ」と言うと、おじさんは「歴史は“不可挽回(元には戻せない)”けれど、何があったかをきちんと知ることは大切」と。その通りですね。

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花宅の集落からほど近い高台「天台山」に登りました。360度、澎湖の島々と水平線が広がる素晴らしい景色です。昼間は日差しが強すぎますが、ここから見る夕景は素晴らしいのだそう。次回はぜひ望安嶼の民宿に一泊して、このあたりをもう一度散策したいと思います。

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ここから八つの島々が見えるので、望安嶼はかつて「八罩島」と呼ばれたそうです。さきほど教えてもらった旧日本軍の遺跡も「八罩島基地」という名称でした。特攻艇「震洋隊」による作戦基地のひとつです。

震洋 - Wikipedia

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山裾に特攻艇を隠しておくクリークを掘り、そこから海まで続く線路を作った施設「鴛鴦窟」の跡も残されていました。「有事」ともなれば、特攻艇を線路伝いに浜まで運び、出撃するという基地だったようです。

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上記のWikipediaによれば、震洋は6000隻あまりが作られ、様々な地域に配備されたようです。配備先が「馬公」となっている隊の一部がここにあったのでしょうね。震洋関連の戦死者は2500名以上、「アメリカの資料によると、終戦まで連合国の艦船の損害は4隻だった」と。何という生命と資源の蕩尽でしょうか。

こちらは台湾の「公共電視」が作った番組の一部です。

youtu.be

休憩所のそばに、レールに乗った特攻艇の模型も置かれていました。

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この基地にほど近い海岸の沖に見えるのは、馬鞍山嶼です。

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その名の通り馬の鞍の形をした小島ですが、ここは日本統治時代に政府が痲瘋病(ハンセン病)の患者を隔離した場所だそうです。一切の援助をせず、ただここに棄民してあとは患者たち本人の自活に任せたという、かなり非人道的な政策だったと、一緒に行った友人が説明してくれました。【追記(2019.7.10)こちらのページによると、患者の隔離ではなく「患者に死者が出た場合に、この島に遺棄して何の処理も行われなかった」という説もあるようです。いずれにしても非人道的ですが……。】

こうした歴史の一端は、日本人にほとんど知られていないと思います。澎湖に住む台湾人でも知らない人は多いと友人は言っていました。売店のおじさんが言っていた通り、歴史は“不可挽回”ですけど、それでもこんな南の、離島のそのまた離島までやってきて何やってたんだ日本人、という感慨に襲われます。

かつて日本が台湾を植民地支配したのは50年もの長きにわたります。それだけ社会の各方面に深くコミットしていたわけで、台湾各地を旅すると、必ずと言っていいほどこうした遺跡や遺物に遭遇します。当時の歴史に私は何の関与もしていないとはいえ、それでも一人の日本人として何ともむず痒い気持ちになります。

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港まで戻って、その少し先にある砂浜に向かいました。ここは澎湖一美しいとも言われる砂浜で、アオウミガメが産卵しに来るそうです。もっとも数年前に比べて砂がかなり流出してしまったと友人は嘆いていました。

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望安嶼にはアオウミガメ保護のための研究施設もあります。建物がウミガメの形をしていますね。

派手さは全くない離島の望安嶼。マリンスポーツなどが盛んなわけでもないので、他の離島のように若者や観光客であふれているということもありせん。それでも、いえ、それだからこそ逆に深い印象を残す島でした。ぜひまた、今度は民宿を予約して訪れてみたいと思います。