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しまじまの旅 たびたびの旅 132 ……シーカヤックとヨット

環状に島が連なる澎湖諸島の西側にある“西嶼”、その北端にある小さな島“小門嶼”(と言ってもいずれも橋で繋がっています)に早朝4時おきで向かい、日の出を見るシーカヤックをしてきました。以前にもここで“小門嶼”をぐるっと一周するシーカヤックのツアーに参加したことがありますが、疲労困憊でほとんど吐きそうなくらいにハードだったので、覚悟を決めて来ました。が、今回は外海に出てゆったり日の出を見て、また戻ってくるという「ユルい」行程だったので助かりました。

そのあと、民宿のオーナーのお誘いで、澎湖科学技術大学の学生さんたちがヨットに乗せてくれるということになり、急遽澎湖諸島の最北端にある“目斗嶼”までのツアー(というか、おそらく学生さんたちの実習の一環。この大学に海洋関係の学部があるのです)に参加することになりました。

ヨットに乗るのは初めての経験ですが、学生さんたちが帆を張ったりロープで帆の向きを調整したり、ヨットの右舷と左舷を行き来してバランスを取ったり……とさまざまな作業をこなすのをただただ「ぼーっ」と見とれていました。ヨットの操船技術の複雑さに圧倒されて。いずれも風や波の様子を見ながらの合理的な動きなのだと思いますが、これはかなり訓練しないと操船はおぼつかないのだろうなと思いました。実際、先輩らしき学生さんが、後輩の学生にいろいろと指導しながらテキパキと事を進めていました。

それから、動力のないヨットでも、風をうまく使うとかなり速く海上を走ることができるのだなという点にも驚きました。向かい風であっても、操船の仕方で前に進むことができるのです。これまでなんとなく頭の中に思い描いていた、ヨットといえばアレーー、つまり三角形の帆が二枚ついていて、なんだか常に傾きながら進んでいるようなイメージが、実際に乗ってみると「なるほど、それがそうなって、そうなるから、そういうふうになっているんですね」というのがよくわかりました。

それらを文章で説明するのは非常に困難です。加えて私は行きの行程で少し船酔いをしてしまい、学生さんたちの作業を細かく観察する余裕がなくなってしまいました。それで目的地の“目斗嶼”についたあと、私は桟橋の端にある建物の影で少し横になっていました。“目斗嶼”は以前にも一度来たことがありますが、灯台がある岩礁灯台守だけが住んでいる島です。海の水は果てしなくきれいで、海鳥の群れが海面の魚をしきりに捕食していました。




帰りの行程は、途中にある“吉貝嶼”に寄りました。ここで地元のガイドさんにほんの短時間だけ島を案内してもらうツアーに参加しました。“吉貝嶼”も以前に一度だけ来たことがありますが、そのときには見られなかった澎湖諸島特有の“石滬”を間近に見ることができました。“石滬”は潮の満ち引きを利用して魚を捕まえる伝統的な仕組みで、澎湖では“七美嶼”にある「ダブルハート型」のそれが有名ですが、“石滬”の発祥地はここ“吉貝嶼”なのだそうです。


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また“菜宅”と呼ばれる、これも澎湖独特の畑を囲う石造りの壁も間近で見ることができました。これは強風から畑の作物を守るためのものだそうで、かつてパキスタンフンザへ旅行したときに同じような石垣状の畑の囲いを見たことがあります。宮崎駿監督はフンザの風景をもとに風の谷のナウシカの「風の谷」を構想したと聞いたことがありますが、やはりあれも風から作物を守るための仕組みだったのかしら。


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学生さんたちのおかげで、いろいろと貴重な体験をさせてもらいとても感謝しています。が、早朝から夕刻まで(小門嶼に帰り着いたのは午後六時頃でした)海上のタフな環境に身を置いていたので今回もとことん疲労困憊しました。それでも元気いっぱいな若い学生さんたちを見つつ、そりゃそうだよなあ、年が倍、いや三倍近く違うんだもの、と思いました。一晩開けたきょうも、なんとなく世界が波の上で過ごしたような感じに揺れているような気がします。