インタプリタかなくぎ流

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日本語が消滅する

山口仲美氏の『日本語が消滅する』を読みました。少々煽り気味とも受け取られそうなタイトルですが、少子化で人口減少フェーズに入ったこと、世界でも十指に入る「巨大言語」とはいえそれがほぼ日本列島でのみ使われていること、これまでにも様々な理由で言語、それも比較的規模の大きい言語までが消滅した例があること……などなど、長い歴史のスパンで眺めてみれば決してそれがありえない話ではないと筆者は言います。


日本語が消滅する

世界の言語の多様性や興亡の歴史についてはごく基本的な教養が紹介されているだけなので、言語に多少なりともお詳しい方だとちょっと物足りないかもしれません。でも言語に関する教育現場で講師の端くれとして働いている私としては、空気のように日々当たり前に使っている私たちの母語があまりにも軽視されているのではないかと感じることが多いだけに、共感を持ってこの本を読みました。

特に幼少時から外語、なかんずく英語教育に狂奔しているいまの日本の、教育のあり方についてはもう一度立ち止まって考えてみるべきだと改めて思いました。私自身語学が好きで、日々中国語だの英語だのフィンランド語だのの学習に勤しんでいるような人間が言っても説得力はないかもしれません。それでも私は、英語を含めて語学は、必要な人が必要になってから(ただし必要になったからにはそれこそ寝食を惜しんで死にものぐるいで)でも遅くなく、それまでは豊かな母語(日本語)の涵養につとめるべきとの思いを強くしました。

この本でちょっと驚きだったのは、いまや「中学校では英語の授業時間数が国語の時間数を超えています(276ページ)」という記述でした。えええ、そうなの? それで、文科省の学習指導要領に当たってみたら本当にそうなっていました。中学校1年生と2年生は国語と英語の授業時間数が同じですが、3年生になると国語の時間数が減っています。3年間トータルでは国語よりも英語(外国語)のほうが多いんですね。


中学校学習指導要領:文部科学省

もちろん他の科目は基本的に日本語で教えるのでしょうから、国語と英語だけを比べても仕方がないとは思いますが、ちょっとショックを受けました。ついつい自分が教育を受けた何十年も前の感覚のままでいるものだから、英語の学習環境はすでに自分が中学生の頃とはまったく違っているという当たり前のことに気づかないでいたんですね。