いつも夕飯を食べながら見ているニュース番組は、途中に何度かコマーシャルが入ります。私はそのうちのひとつ、セブン&アイホールディングスの「明日にいいこと、つなげる、つづける。」という企業広告が以前から気になっていました。
Stevie Wonderの『Overjoyed』が流れる穏やかな雰囲気のなか、「循環経済社会の実現のために、セブン&アイグループはみなさまと一緒に、答えを探しています」として、ペットボトルの回収と再利用に取り組んでいることが紹介され、世界で初めて完全循環型ペットボトルリサイクルを実現、さらに他の製品への転用も模索し、プラスチックの再資源化に積極的に取り組んでいるとうたっています。
同社のウェブサイトには、この他にも「CO₂排出量削減」、「食品ロス・食品リサイクル対策」、「持続可能な調達」など具体的な目標を掲げ、「豊かな地球環境を未来世代につないでいくため、グループ一丸となって環境負荷の低減に取り組んでいきます」とのステートメントが載せられています。いずれも素晴らしい取り組みではありますが、私は上掲のCMを見るたびに、どことなく違和感を覚えていたのでした。
ペットボトルを100%再利用するというのはもちろんすごいことなのですが、たとえば同社のコンビニ・セブンイレブンやスーパー・イトーヨーカドーなどでは、その他にも大量のプラスチックやビニールを用いて商品が売られており、ペットボトルはそのほんのほんの一部に過ぎません。なのにそれが企業全体のエコロジカルなイメージ形成に象徴的に使われている。ここには明らかな誇張があるのではないかと感じてしまうーーそれが違和感の理由でした。
それでも私はこれまで、こうした取り組みはやらないよりは少しでもやったほうがましではあるし、ましてやセブン&アイのような大企業が取り組むのであれば、なおさら人々の意識を変えていくためには有効ではないか、とも思っていました。少なくとも、以前のような放恣な大量生産・大量消費を行うばかりの世の中よりはよほど良くなっているではないかと。
私自身、できるだけ使い捨てのプラスチックを使わないようにと、ペットボトルやプラスチック容器に入った食品は極力買わず、紙のパックや瓶入り・缶入りの食品を多少値段が高くても買うという暮らしを続けています。それでも圧倒的に多方面で使われているプラスチックやビニールやスチロールなどの包装や容器を完全に避けることはできません。そういう自分の行動だって全体から見ればお粗末極まりないものだし、それに比べればこうした企業の取り組みのほうがよほど「意識が高い」ではないか、けっこうなことではないかと思っていたのです。
https://www.irasutoya.com/2017/10/blog-post_383.html
でもこの本を読んで、それはほとんど幻想に近いのだと思い知らされました。そして上掲のCMに感じていた小さな違和感にもそれなりに根拠があったのだということも。その本、カール・ローズ氏の『「意識高い系」資本主義が民主主義を滅ぼす』は、こうした企業による「意識の高い」行動は実のところ企業が利益拡大を目指す新たな手段であり、かつこれまでにない形で民主主義を破壊していく危険な動きでもあるのだと警鐘を鳴らしています。
この本ではその一見意外にも思える論点をさまざまな角度から検証していますが、私が特に危惧を感じたのは、資金力があり、したがって社会への影響力も個々人に比して極端に大きい「意識の高い」企業や裕福な人々が、ともすれば民主的な手続きをすっ飛ばして各種の政策や施策に影響を与えることになるかもしれないという点です。
たとえば一部の企業のCEOたちが、その地位を利用して政治的にアクティブになることの是非も論じられています。私はこれまで、こうした影響力のある経済人が政治に物申す、とりわけ気候変動や多様性やその他「意識の高い」課題に対してポリシーを表明するのはよいことなんじゃないかと漠然と考えていました。日本でも例えば選択的夫婦別姓とか同性婚について積極的に支持を打ち出す大企業のトップなどがいますよね。また例えば環境問題に対して積極的に発信を行い、その理念を自社の商品にも敷衍しているブランドが人気になったりもしています。
でもそれは、見方を変えれば裕福で影響力のある立場にある者は、政治的な課題について「有権者を代表する権利と道徳的責任がある」(183ページ)という信念につながる可能性があり、「選挙で選ばれていない庶民の代表であり、その政治的権威は経済的力によってのみ正当化されるという、自己矛盾をはらむ立場に身を置いている」(同)ということになるとこの本は指摘するのです。つまり民主主義より金権政治を選ぶ結果になりはしないかというわけです。
リベラルな「意識の高い」行動で企業のイメージが向上することで、結果的に民主主義の破壊を招き格差もより拡大していくことになるというこの本の指摘に、残念ながら頷かざるを得ません。そしてそれはある意味、一見「けっこうなことではないか」と広範な支持が得られやすいという点で、より巧妙に「偽装」されたディストピア化への道かもしれないと気づかされて、ちょっと途方に暮れているところです。