インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

試験をなくしてみた(その後)

作家の内田百閒氏は語学講師だった頃、作文の課題に評価をつけなかったーーそんな話が先日の東京新聞「筆洗」欄で紹介されていました。「作文を課するのは、自分で何かを書き綴る修練をさせればいいので、彼等が文稿を提出した時、すでに作文授業の目的の大半は達している」。

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百鬼園先生に自分をなぞらえるのは僭越至極ですが、私も同じ考えで、それもあって今年度から自分が担当する留学生の通訳クラスでは試験をなくしました。試験のために、試験のため「だけ」にその場しのぎで訓練なり練習なりを行うのは本末転倒で、日頃から自分で自分に何が必要かを考えて、各自が努力すればいい、畢竟それだけなんじゃないかと思って。もちろん学生が努力しやすいようにするためのお膳立て(教案や教材の作成など)や助言は惜しみませんが。

ともすれば教師は、試験や成績評価をムチとして学生に学ばせようとします。そうすると学生は学生で、その試験や評価で最大限成果が上がるような学び方、それも最小の努力で最大の成果が出るような、いわゆる「コスパのよい」学び方を選ぶようになり、自分はいったい何のために学んでいるのかを置き去りにしてしまう傾向があるように思います。

私が担当している留学生は全員、すでに高校や大学を卒業したあと日本に留学してきた方々で、つまりはもうある程度「躾(しつけ)」的な教育が必要な義務教育段階ではなく、ひとりの大人として自分が必要とするスキルや知識を身につけるために学んでいます。だったらなおさら試験や評価で学ばせようとする必要はないんじゃないかと考えたのです。

これはある意味、とても冷酷な態度なのかもしれません。だって、学ぶも学ばないも本人の自由で、スキルや知識が身につかないのは自己責任と突き放しているようにも思えるからです。実際私は同僚とそういう議論も重ねましたが、単に突き放すのではなく、むしろよりきめ細やかにいろいろな学びのヒントを与え、必要に応じて面談やカウンセリングなどを行うということで了承してもらいました。

……で、今週はその面談を行う予定なのですが、試験をしないことを学期の最初に伝えてここまで三ヶ月、自分の目標に向かって地道に頑張っている学生もいれば、どうせ試験もないんだしと(本当にそう思っているかどうかはわかりませんが)あまり努力の跡が見られない学生もいます。面談ではそれやこれやも率直に伝えて、日本に留学しようと思った初志は何だったんですかと聞いてみようと思っています。


https://www.irasutoya.com/2013/10/blog-post_9162.html