インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

「コチコチのマインドセット」と「しなやかなマインドセット」

同僚に教えてもらったのですが、雑誌『日本語学』の2022年3月号に「マインドセットと4チャンネルモデル」という論考が掲載されていました(筆者は藤森裕治氏)。その中に出てきた、スタンフォード大学のキャロル・ドゥエック氏らによる人間のマインドセットについての研究がとても興味深いものでした。


日本語学 2022年3月号

それによれば、人間のマインドセット(その人のこれまでの生き方や環境から形成されるものの見方・考え方)には大別して2つのタイプがあるのだそうです。それは「固定化された・コチコチの」マインドセットと、「成長する・しなやかな」マインドセットです。

この論考では、前者をこう説明しています。

人間の価値や能力などはあらかじめ決められているという前提に立つ。自分に与えられた長所が最大限に活かせる環境を求め、そのために努力することが大切だと考える。

後者はこう説明されています。

人の価値や能力などは努力次第でいくらでも変化するし、成長させることができると信じている。彼らは困難や壁にぶつかることを怖れず、何事もポジティブにとらえて取り組もうとする。

もちろんすべての人間がこのどちらかにはっきりと分類されるわけはなく、この論考でも実際にはどちらかの傾向がより強いという形で現れるだろうとはしています。でもこういうマインドセットの違いは、周囲の知人や友人を見回しても、また特に私たちが日々接している留学生のみなさんを観察しても、「そういえば」と首肯する部分が確かにあるなあと思いました。

どちらのマインドセットも、努力しようという姿勢は変わらないのです。だからいずれのマインドセットにあっても、ともに真面目な学生さんであることに変わりはありません。でも、前者の「固定化された・コチコチの」マインドセットの学生さんは、あらかじめ自分に枠をはめているがゆえに、素直に学べないことが多いように思います。

つまり、これは私には向いていない、私はこれは得意ではないと、取り組む前から頑なに決めてしまっていることが多い。いっぽうで「成長する・しなやかな」マインドセットの学生さんは、向いていないかもしれないけれど、とりあえずやってみようと一歩前に進み出す。

語学に限らず、何事もそうでしょうけれど、この一歩前に進み出すかどうかというのは、のちのちまるで複利の投資みたいに大きな差となって現れてくるものです。小さな一歩、小さなチャレンジを積み重ねているうちに、気がついたら長足の成長を遂げていたということがあり得る(もちろんそうならないこともあり得ますが)。

教師という立場から本音を言えば、こうした「成長する・しなやかな」マインドセットの学生さんに接するのは楽しいです。それはたぶん学生さんの成長とともに自分にも学びがあるからではないかと思います。変化し、成長していく学生さんから教師が教わることは実に多い。逆に「固定化された・コチコチな」マインドセットの学生さんとは、教師(教えるもの)→学生(教えられるもの)という一方向のベクトルしか働いていないように感じるのです。

私はかつてこのブログで何度も「物事には向き不向きがある」と書いています。
qianchong.hatenablog.com
でも最近になって、この「向き不向き」という言葉の使い方については、より慎重であるべきと考えるようになりました。そして今回この論考を読んで、あらためて「固定化された・コチコチな」マインドセットを助長するような意味合いで「向き不向き」という言葉を使ってはいけないと思いました。

もちろん、すべての人間にあらゆる可能性が全方向にあって、だからあらゆる努力や取り組みは一切否定されてはならない……みたいな極端な理想論はかえって危険だとも思います。ご本人も気づいていないと思われるオーバーキャパシティや虻蜂取らずの危険性などを客観的な視点から指摘して、「思い込みの桎梏」みたいなものから解放してあげるのも、ある程度まで私たちの役割でしょう。

だからことはそう単純ではありません。それでも、学生さんの様子を仔細に観察しながら、より多くのコミュニケーションを重ねて、より深い学びへつなげていくためにはどうすればよいのか。それを考えるベースのひとつとしてこうしたマインドセットの違い(あるいは傾向)という切り口は、おおいに参考になるのではないかと思ったのでした。そしてまた、自分自身の学びのためにも。