インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

プライドと語学

アメリカ人のお連れ合いがいる知人(日本人)がいます。お二人はここ十数年日本に住んでいるのですが、そのアメリカ人のお連れ合いはほとんど日本語が話せません。知人が英語に堪能であるため特に不便も感じないのでしょうけれど、日本に暮らしている以上おひとりで出かけることもあるでしょうし、大きなお世話ながらなぜ日本語を学ばないのかな、と思います。

その知人によると、お連れ合いはとてもプライドが高いので、いまさら日本語を苦労して学ぶ気にならないんじゃないかな、と言っていました。なるほど、母語以外の言語を学ぶというのは、言ってみれば自分の「できなさ・ふがいなさ」を常に認識させられる営みですからね。学童期ならまだしも、成人して、それもずいぶん歳を取ってから新たに言語を学ぶという段になって、ご自身のプライドがその習得を妨げるということはあるんだなと。

考えてみれば、特に東京のような大都会に暮らしている限り、ほとんど日本語が話せなくてもふだんの生活は営んでしまうことができます。スーパーでもコンビニでも特に話す必要はないですし、必要最低限の日本語の単語を知っていれば、かなりの場面を乗り切ることができるかもしれません。そういえば中国や台湾に住んでいたときも、もう何年も現地にいるのにほとんど中国語を話せず(話さず)暮らしている方はいました。

いま私は主に語学学校で日本語や中国語を教える仕事をしていますが、学生さんのなかにも高すぎるプライドが邪魔をして語学が伸び悩んでいるのではないかなとお見受けする方がときどきいます。自分が生徒の立場で通っている語学学校にも時々おられます。特にアウトプットを極端に渋る方というのは国や民族やジェンダーを問わずにいて、なるべく当てられたくない、答えたくない、しゃべりたくない、作文したくない……という雰囲気をまとっているのです。

もちろん語学をどう学ぼうと個々人の自由です。アウトプットを渋る方にも、その方なりの語学の楽しみ方があるのでしょう(でなければ学校に通おうとは思わないでしょう)。だから贅言を費やす必要はないのです。ただ、上述した知人のお連れ合いはもとから学ぶお気持ちがないのだからいいとしても、学ぶ気持ちがあって学校にまで通ってきているのにプライドが捨てられない方にはどう対処したものかといつも悩みます。

でもそこはそれ、「人の振り見て我が振り直せ」。語学ではプライドなどどんどん捨てまくりの私も、他の場面ではプライドが自分を縛っているかもしれません。もうすぐリタイアの歳を迎えるのですから、これからはなおさらつまらないプライドなどどんどん捨てるべきじゃないか、そんなことを考えています。

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