インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

みんな同じ街になっちゃう

うちの近くにトラム(東急世田谷線)の松陰神社前という駅がありまして、駅の両側は商店街になっています。古くからのお店と、最近になってできたお店が混在しているなかなかおもしろい商店街です。私はこの街に住んでまだ6〜7年ほどなのですが、引っ越してきた当時からよく通っていたのが「共悦マーケット」という昭和のかおり漂う横丁でした。

居酒屋さんなどにはあまり縁がありませんでしたが、マーケットの入り口にある「nostos books」という古本屋さんにはよく行きました。アート系の古本がたくさんおいてある店で、学生時代にはこういう世界に憧れたなあと個人的なノスタルジーを掻き立ててくれる場所だったのです。

その共悦マーケットが、老朽化のために取り壊されることになり、数年。その間の経緯はこちらの記事に詳しいです。

suumo.jp

私はこの街にとってはまあいわば「にわか」の住人ですからまだしも、長年この街に暮らしてきた方にとってはちょっとやりきれない思いだっただろうなとお察しします。

で、その共悦マーケット跡地にはマンションができ、一階にはコンビニエンスストアが入りました。今日はそのオープン日ということで、散歩がてら写真を撮ってきたのですが、予想していたとはいえ、なんともまあ味わいのないのっぺりとした風景になっていて、「にわか」の私でさえちょっと虚しさを覚えました。



当事者の方々の事情も知らず勝手なことを言いますが、こんなの、どこにだってあるじゃない? どこの街も同じような雰囲気になっちゃって、おもしろくないじゃない?

先日北九州の実家に帰省したときも、そののち旅行で金沢に行ったときも同じようなことを思いましたが、いまや九州に行こうが北陸に行こうが、駅ビルに入っているテナントや繁華街のお店には、コンビニも、服屋さんも、カフェも、レストランも、チェーンやフランチャイズの同じようなものが多く(まあチェーンやフランチャイズだから同じような店構えなのは当たり前ですけど)、あまりその地方独特の雰囲気というものが感じられません。

こうやって、どこもかしこも同じような街になっていくのは、つまらないなあ。経済の論理から行けばそのほうが無駄がなくていいのかもしれないけれど、そういう無駄をも許容できないくらいに日本という国が余裕がなくなってきたのかな……などと不遜なことを考えました。