インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

思い出の残骸

私が初めて中国へ行ったのは、たしか1992年か93年頃だったと思います。当時私は熊本県水俣市に住んでいて、主に水俣病に関する資料館の広報誌を編集する仕事をしていました。その仕事のつながりで、福岡の印刷業者さんとやり取りをしているうち、福博綜合印刷という会社が自社の編集・デザイン・印刷で発行されていた季刊雑誌『FUKUOKA STYLE』を知り、毎号楽しみに熟読していました。

その創刊号の特集は「水辺都市」というタイトルで、福岡・博多や柳川、ヴェネツィアやロンドンとともに、中国の蘇州などが紹介されており、私はそのなかでもとくに柯橋鎮という見知らぬ街の水辺の風景に魅せられてしまったのでした。柯橋鎮は紹興酒で有名な紹興の街の郊外にあって、江南地方特有の運河が街中に張り巡らされた「水辺」の街です。それで、初めて中国は上海へ旅行した際、わざわざ足を伸ばしてこの街まで行ってきたのです。

この雑誌『FUKUOKA STYLE』はもう私の手元にはありませんが、試みにネットを検索してみたらなんと、『Fukuoka ebooks』という電子書籍ポータルサイトに、この雑誌の全バックナンバーが入っていました。もちろんこの創刊号も読むことができます。一気に30年の時を遡ってこの懐かしいページを開きつつ、当時のことを思い出しました。


FUKUOKASTYLE | fukuoka ebooks | 福岡県電子書籍ポータルサイト

紹興の街からローカルバスを乗り継いで実際に行ってみた柯橋鎮は、雑誌の写真以上に素晴らしい街でした。古くから暮らしとともにあった小さな運河がなおも現役で使われており、竹で編んだような黒い屋根のついた“烏篷船”と呼ばれる小さな船が行き来していました。石造りの壁と黒い瓦の江南地方特有の民家の街並みが続き、台湾の“騎樓”にも似た独特のアーケード状をした通路も残っていました。

その前日に逗留した紹興の街も素晴らしい佇まいで、魯迅の《孔乙己》に出てくる咸亨酒店も残っており、そこで地元の人に混じって茴香豆をおつまみにしながら紹興酒を飲みました。本場の紹興酒があまりにおいしかったので、紹興を離れるときに駅近くのお店でひと瓶購入して、当時まだ使われていた“外匯券(外貨兌換券)”で支払いをしようとしたら「それは何だ?」と言われたのも懐かしい思い出です。

後年、30歳代も半ばになってから中国に留学した際、夏休みにふたたび紹興と柯橋鎮を訪ねたことがあります。あの懐かしい思い出に浸りたかったからですが、すでにどちらの街も大幅にその面貌が変わり、近代的な(というか、旅人の勝手なノスタルジーを許していただけるなら、他の都市と変わらぬつまらない)建物がたくさん建っていて、江南の水辺都市の趣は大幅に失われてしまっていました。

あの咸亨酒店も明らかに観光客向けの設えに変わっていて、大いに幻滅したものです。ああ、やはり、昔日の美しい思い出は、美しい記憶のままでとどめておいたほうがよかった……というか、美しい思い出はその当時の自分でなければ巡り会えなかったからこそ美しく、かつ貴重なのであって、それを後年「あの感動をもう一度」と欲をかくと、たいてい碌なことにならないものです。

追記

このブログ記事を書いてふと、村上春樹氏の新作『街とその不確かな壁』を想起しました。私は大学生の頃、この作品と縁が深い『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を読んで、以来何度も読み返す愛読書のひとつになっています。そこに出てくる壁に囲まれた街はまさに、私にとってのかつての柯橋鎮でした。そして今年『街とその不確かな壁』を読んだ私は……こんな言い方はまったくもって失礼ではありますが、そこに出てきた街にあの二度目に訪れた柯橋鎮と同じような「残骸感」を覚えたのでした。