インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

その「佼成」だったんですね

先週の日曜日は、杉並区にある杉並能楽堂へ行きました。ここは私の自宅から直線距離ではさほど離れていないのですが、公共交通機関を使うといささか不便で、いったん都心の新宿に出てから、あらためて東京メトロ丸ノ内線を利用するしかありません。バスを使う手もありますが、GoogleMapで確認するとこれまたちょっと接続が悪そう。というわけで、思い切って自転車で向うことにしました。

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思い返せばコロナ禍に突入したばかりの頃は、半年ほどこうやって自宅から都心の職場まで自転車通勤をしていたのでした。杉並能楽堂へ向かう道は途中までその通勤をしていた道と重なるので、自転車を走らせながらちょっとした感慨にふけってしまいました。あの頃は自転車に乗って、なおかつマスクをして、かなり戦々恐々とした気持ちで通勤していたなあと。

ところで、杉並能楽堂へ向かう途中、ちょっと異形の(と言っては失礼ですが)巨大建築物を目にしました。お寺の本堂みたいな(でもコンクリート造りでものすごく大きい)建物と、まるでSF映画に出てくる宇宙船が着陸したみたいな円形の建物です。円形の方は以前に写真で見たことがありました。ここは宗教法人の立正佼成会の本部があるところなんですね。


Google Earth の3D画像から。

それに気づいて改めて周囲を見ると、立正佼成会関係だと思われる施設が。佼成学園や佼成病院など「佼成」の名前が冠されているのですぐに分かります。……と、そこで私は「ああっ!」と小さな声をあげてしまいました。何十年かぶりでその名前を思い出したのですが、東京佼成ウインドオーケストラって、その「佼成」だったのかと。

私は中学生の頃、吹奏楽部に所属していてユーフォニウムを吹いていました。高校に進んでからはやめてしまったので、いまはもうまったく演奏できませんが、その頃あこがれていたのがこの東京佼成ウインドオーケストラです。いまはともかくその当時は、日本でも数少ないプロの吹奏楽団でした。プロのオーケストラ(管弦楽団)はたくさんありますが、プロの吹奏楽団は珍しかったのです。

当時は「佼成」という楽団名をとくに意識もしませんでしたが、それから40年以上を経て、ようやくその名前の由来を知ったという次第。同楽団のウェブサイトによれば、もともと立正佼成会附属の「佼成吹奏楽団」として発足し、その後「東京佼成ウインドオーケストラ」へ改称(私が知っていたのはこの頃です)、現在は立正佼成会から独立して活動する楽団になっているそうです。

www.tkwo.jp

当時、東京佼成ウインドオーケストラの演奏で繰り返し聞いていたのは(それもカセットテープで。どこから録音したのかは忘れてしまいました)アルフレッド・リードの『アルメニアン・ダンス』でした。これは吹奏楽をやったことがある方ならどなたもご存知の名曲(しかも難曲)です。私自身は演奏したことはありませんが、いつか一度は……とあこがれていました。

……てなことを思い出して、立正佼成会の巨大建築物のそばで感慨にふけっていたのでした。