インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

いまでも緊張している

悪夢を見ました。授業の開始時間が迫っているというのに、教材が全然準備できていないのです。パソコンのフォルダに入っているエクセルファイルから学生の名簿を抽出してワードにコピペし、プリントアウトするというだけなのに(なぜそれが教材なのかはよくわかりませんが)、どうやってもできず、授業開始時間が迫ってくる……という。

あせって操作すればするほどパソコンには不可解な挙動が起こって、だんだん自分がイライラし始め、周りのスタッフにも当たり散らし、その間にも始業時間が迫ってますますパニックになり、ふと気づくとデータが餅のような、あるいは餃子の生地のような塊に変化していて(この辺はちょっと狂気を感じます)絶望し、「どうすればいいんですか〜」とついに泣きを入れたら、隣りにいた人から「やめればいいんじゃないですか」と言われたところで目が醒めたという……。


https://www.irasutoya.com/2014/06/blog-post_306.html

ベッドにぼんやりと座って、なぜこんな悪夢を見るかなと独りごちましたが、実はこの種の「焦りまくり系」の夢はよく見ます。授業の準備ができていないことに対して、私の中にとても大きな恐怖があるからではないかと思われます。教材や教案の準備ができていないのに授業を始めなければならない恐怖、あるいは授業の途中でネタが尽きて絶句してしまうのではないかという恐怖。もうかれこれ、断続的ではありながらも何十年も教える仕事をしているというのに、まだそんな状態なのです。

これを言うと周囲からは「またまた〜、ご謙遜を〜」などと茶化されるのですが、だから私はいまでも授業前はかなり緊張しています。教材や教案も、その日に用いる予定のものはもちろん、何らかのイレギュラーな展開があったときのためにつねに少し余分に用意しています。

以前は例えば2コマ連続の授業があったとしたら、1コマ目の半分でここまでやって、休憩までにはここまで終わらせて、2コマ目の最後までにはここまで……みたいなタイムテーブル的なもの(メモ程度ですが)まで作っていました。いまはさすがにそこまでやらなくても授業や訓練ができるようになり、与えられた時間内にきっちり「着地」させることもできるようになりましたが。

またもちろん授業や訓練は教師からの一方向のものではないので、学生さんからの思わぬ反応や質問で、あるいは習熟度合いの進捗によって教案が大幅に変更を迫られることもあります(それはあたり前のことですし、大歓迎ですが)。そんなときでも、いまでは慌てずにきっちり「回収」できるようにもなりました。それでもやっぱり緊張はしています。引き出しの少ない人間の悲しいところで、とにかく徒手空拳で授業や訓練に臨むことができません。要するに小心者なのです。

これはイヤミに聞こえるかもしれませんけど、かつて奉職したことのある某学校では、ベテランの講師が始業時間ギリギリに職場にやってきて、事務方に「で、今日は何をやればいいんだっけ?」と聞いていて驚いたことがあります。また何十年も前のトピックを使って通訳や翻訳の訓練をしている方もいて、たしかに言葉を訳すということの本質は変わらないんだから素材は何でもいいのだよなとは思いつつ、やはり信じられない思いをしたことも。

私など、上述のように周到な準備なしには教室に行けませんし、その教室に行くのだって始業時間の何十分も前に(下手をすると一時間以上も前に)入って「仕込み」をしています。教材も、特に中国語圏に関する通訳や翻訳の教材は、なにせ「現地」の変化がものすごく速く大きいので、数年前のトピックでも古臭く感じられて学生さんのやる気を削ぐだろうと、つねに新しいものを開発しています。あ、やっぱりイヤミに聞こえますか。

これについては駆け出しの頃、ベテランの講師に「ありものの教材でもそれなりに充実した授業ができるのがプロというものですよ」と諭されたことがあります。そして「すべてに全力投球していたら、いつか身体を壊しますよ」とも。いや、本当にそのとおりなのです。しかし、それから長い年月がたったいまでも、やっぱり私はこのようにしか仕事をすることができません。そりゃ悪夢も見ようというものです。

たぶん私は、本来あまり教師という職業には向いていない人間なんだろうと思っています。