インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

状況に関係なく非着用はわずか7%

今朝の東京新聞一面「筆洗」に、驚くべき数字が載っていました。「コロナ対策のマスク着脱が個人の判断に委ねられてから」一ヶ月後におこわなれたネットでのアンケート調査によると、「状況に関係なく非着用」はわずか7%なんだそうです。

ふだん往来を眺めている私個人の感覚ではもう少し多いような気もしますが、全体としてはまだまだこんなところなんですね。いえ、もちろん着脱は完全に個人の自由ですし、いまのこの時期花粉症などでいまだ手放せない方も多いでしょうから、その数字にあれこれ言うつもりはないのです。

ただ、「状況に関係なく非着用」というアンケートの選択肢はいささか世論誘導の「気」があるなあと思いました。だってこれだと、何が何でも非着用なんだ的な傍若無人さを醸し出していません? この選択肢をチョイスするのはちょっと勇気が要ると思います。

それから、記事によれば「状況に応じて」も合わせると着用派は九割を超えるそうですが、基本マスクはしていない私だって、極端に混んだ電車に乗るときのためにマスクは常に携帯しています。つまり私のような者だってアンケートへの答え方次第では「状況に応じて」ですから「着用派」だということになります。

アンケートの方法もさることながら、「〇〇派」という分断を煽るような書き方、それになにより「みなが周りを気にせず、するしないを決める日はいつになるのだろう」と嘆息し「人の世も一色に染まらぬ方が息はしやすい」などと小粋なまとめ方をされている「筆洗」子ご自身が「自分を含め圧倒的多数は着用派」とおっしゃっている……ちょっと無責任じゃないかなあと感じました。

故・小田嶋隆氏がかつて講演で「新聞の看板コラム(天声人語とか余録とか編集手帳とかですね)は、最後になにか気の利いたひねりなりちょっとした皮肉なりで締めるのが『芸風』だけれども、その実なんのオピニオンにもなっていないことが多い」というようなことをおっしゃっていました(発言そのままではありません)。私は「そうだよなあ」と深く納得したのですが、今回もまたそれを感じました。