インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

マスクを手放せない?

梅雨明けはまだまだ先のようですが、東京も毎日かなり蒸し暑くなってきました。私はとにかく「暑がり」で、毎朝職場に出勤するだけで汗だくになるので、毎年この時期以降は秋まで、着替えを持参するのが常になっています。

もうひとつ、暑さを倍増させているのがマスクです。新型コロナ感染症が猖獗を極めていた頃は、マスクが大嫌いな私もさすがに常時着用していましたが、最近では人と向き合って話すときと、電車やバスに乗るとき以外は外しています。

マスクについてはこのブログにもさんざん書いてきた覚えがあるので、さっき検索してみたら、ちょうど一年前のいまごろ、「明らかに周りに人がいない環境では、もうマスクを外して過ごそうと決めました」と書いていました。

qianchong.hatenablog.com

そして今年の春以降は、あの何事にもとにかくみずから責任を引き受けるのを避けたがる日本政府でさえ「屋外で会話をほとんど行わない場合にはマスクの必要なし」と珍しく明言していたので、これは一気に「脱マスク」が広がるかしらと、ちょっぴり期待もしました。

でも、少なくとも東京の都心では、いまのところその兆しはほとんど見えません。実際に数えたわけじゃありませんが、屋外でマスクを外している方は数パーセント程度だと思います。ひと月ほど前にこのブログで「逆に周りがマスクを外し始めたら、一斉に雪崩を打って外すようになるのかもしれません。たぶんその変化は急激に訪れるでしょう」と書いたのですが、現時点ではその変化はまったく起こっていないようです。

qianchong.hatenablog.com

でもまあ、ひとさまの行動にあれこれ思いを巡らせるのはもうやめましょう。コロナ禍を経験して、個人的にいちばんイヤだなと思ったのは、こういう「周囲がどのように振る舞っているか」を過度にチェックし合う私たちの態度です。同調圧力などという御大層なものですらなく、たんにその刹那刹那目についた他人の行動にいちいち神経をすり減らし合うという、なんとも不毛な行為。

先日こちらの記事を読んでいたく共感しました。いわく……

なぜ日本人はいつまでもマスクをつけているのでしょう。(中略)自分で考えて責任を引き受けて行動することを避ける国民性も大きく関係しているように思います。自分で考えず、言われないとやらない。一度言われると考えないで永遠にやりつづける――。マスク着用はまさに、責任回避行動の典型例です。

president.jp

でもこれが本当に私たちの国民性なるものなのであれば、それはもう一朝一夕に変わる・変えられるものではないでしょう。一抹の寂しさや悲しさは否めませんが、それがとりもなおさず私たちの“国度(国柄)”なのです。倒錯した言い方ですが、それすらどこか愛おしい。私はいま、この「変わらなさ」の前に、ほとんど感動に近いものを感じています。


https://www.irasutoya.com/2016/10/blog-post_392.html