インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

フラワー・オブ・ライフ

よしながふみ氏のマンガ『フラワー・オブ・ライフ』を読み返しました。私はこの作品が大好きで(氏の作品はどれも好きですけど)これまでに何度も読み返しています。そのたびに新しい発見があるのですが、今回は作中に出てくる「オカマ」「ホモ」「レズ」といった言葉に注意が向きました。


フラワー・オブ・ライフ

この作品は2003年から2007年にかけて雑誌に連載されていたもので、発表からすでに15年以上の時間が経っています。その作品でこうした言葉がわりあい頻繁に使われているわけですが、2022年の現在から見ると、引っかかる方もいるのではないかと思ったのです。

いえ、急いで付言したいのですが、私はこれらが問題であると言葉狩りをしたいわけではありません。『きのう何食べた?』に代表される作品を読んでも分かるように、よしながふみ氏がこうしたいわば性的マイノリティと呼ばれる存在に対して、きわめてまっとうな(という言い方が適切なのかどうかはわかりませんが)お考えをお持ちなのはじゅうぶんに承知しています。

ただそれらが、「LGBT」という言葉が一種のスタンダードになっている現代から見ると違和感を呈されることもあるのだろうな、という点に遅まきながら気づいて、自身のこれまでの考え方や言動を再検討する必要があるのではないかと思ったのです。

この作品が2022年の現代にはじめて発表されると仮定したら、おそらく「オカマ」「ホモ」「レズ」といった言葉は出版社の側から「これはちょっと」と規制がかかるかもしれません。でももし、これらの言葉をこの作品から消し去ってしまったら、おそらく作品自体が成立しにくくなるでしょう。そして、それが了解されているからこそ、今でもこの作品は出版されており、単行本や電子書籍の形で購入することができます。特に修正もされていませんし、よく古典的な作品の奥付などに書かれているような「現代では差別的とされる表現も使われていますが、作品を尊重して……」といったような断り書きもありません。

つまりは、現代の実社会で誰かが誰かに「オカマ」「ホモ」「レズ」という言葉を投げかけるのは差別的であるとはされているものの、それと作中の表現は別のものあると、これらの言葉は差別的な意図を持って使われているのではないという共通認識が残されているんですね。でももしこれをPC(ポリティカリー・コレクトネス)的に原理原則で押し通したら、すべて「LGBT」にしてくださいなどと修正を余儀なくされるかもしれません。そんな世界は本当につまらないです。

もちろんどんな言葉や表記であれ、それが一方から一方への差別的な意図を持って使われるのには怒りと抵抗を覚えます。でも「LGBT」(あるいはLGBTQなどなど)という表記に収斂させることで、かえって複雑で多様な人間のあり方を見えにくくしている側面もあるのかもしれません。LとはGとは……とひとつひとつ知り学んだ上で使うことをせず、単に「これを選んでおけば安全だから」的な考え方や使い方をするならなおさら。ちょっと方向性は違いますが、私は「SDGs」にも似たようなものを感じています。

この作品には高校生が喫煙や飲酒する場面も出てきて、それを一応ダメだとはしながらも暗黙の了解的に黙認する描き方がされています。こういった表現も例えば「青少年健全育成条例」みたいなものに厳密に照らせばアウトということになっちゃう。そんな世界もつまらない。

そして私は、例えば喫煙に関しては、これまでにもこのブログでかなり強い批判を展開してきました。喫煙の、一方から一方への有無を言わさぬ加害に対する憤りはいまも変わりませんが、その思いと、世の中を斉一に正しい方向へ揃えようとする動きと、どこで折り合いをつけるのがいいのか……とこの作品を読み返しながら考えたのでした。