インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

「ろう通訳」の生放送

この夏は東京オリパラが「強行」されましたが、私はまったく興味がなく、多額の税金をはじめとした社会のリソースを、コロナ禍への対応後回しでつぎ込むオリパラ自体に反対でしたので、それこそ一瞬たりとも見るものか! ……と、ちょっと変な意気込みでひと月あまりを過ごしました。

私見ですが、このオリパラが残した社会の分断は、今後に大きな禍根を残すと思います。特にスポーツ界やトップアスリートと言われる人たちへの不信と嫌悪感はちょっとやそっとでは拭えないでしょう。アスリートに罪はないという人は多いですが、私は一般のアスリートはともかく、今次のオリパラに出場したトップクラスのアスリートとその関係者は社会的責任を感じるべきではないかと考えます。そしてそれらを無批判に垂れ流した大手マスコミ各社とスポンサー各社も。

その一方で、こんな「成果」もあったということを、一週間ほど前の東京新聞朝刊で知りました。オリパラで、NHKEテレが、これまでの手話通訳とはまったく異なる「ろう通訳」という方式でオリパラの式典を中継したのだそうです。

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記事にもありますが「日本語の語順に沿って単語を置き換える『日本語対応手話』と、ろう者が日常的に使い、日本語とは構造や文法がまったく異なる『日本手話』がある」ということを知らないと、なぜこの方式が「画期的」なのか、そもそもどういう方式であるのかさえ、記事を読んだだけでは理解しにくいかもしれません。

要するに「ろう通訳者」と「フィーダー」が同じ映像を共有しつつ、耳の聞こえる「フィーダー」が音声を同時通訳し、それを受け取った「ろう通訳者」が映像からの情報も加味しながら「ろう通訳」を行う……ということで、一種の「リレー通訳」なのですね。でもこれはろう通訳者とフィーダー双方にとても高い技術が必要な気がします。

こういう試みが行われたことだけが今回のオリパラの「レガシー」かなと個人的には思います(皮肉です、もちろん)。それにしてもいまの世の中の雰囲気、自民党総裁選ばかりが盛り上がっていて、つい先日までオリパラが行われていたことさえ忘れてしまいそうです。余韻すらまったくないといいますか。やっぱりこんなものに巨額の税金や社会のリソースをつぎ込むのは浪費がすぎると思います。北京冬季五輪? もちろん私は興味ありません。