既存の教科書を美しくデザインし直すことで、学習の効率や学生のモチベーションを上げようというプロジェクトに取り組んでいる台湾の方が、講演で“當我們想到教育會想到芬蘭,當我們想到職人會想到日本(教育といえばフィンランドを思い浮かべますし、職人といえば日本を思い浮かべます)”と言っていました。
へええ、そうなんですか、台湾の方にとって日本は「職人の国」なんですか。ちょっと興味深いので、留学生クラスで華人留学生(中国・台湾・香港)のみなさんに聞いてみました。そうしたら、ほとんどの方が「そう」だとのお答え。ちょっと意外でした。まあこういうステロタイプな見方は話半分で聞くべきものではありますけれど。
もちろん日本には伝統工芸などの分野で優れた職人さんがたくさんいます。それは誇るべきことなのですが、「職人」が日本の代表的なイメージだという意識は、当の日本人自身にはそこまで強くないように思います。じゃあ何が代表的なイメージかと言われると、「失われた30年」を経た現在、すぐに「これ」と言えるものが自分のなかになくて困ってしまいますが。
30年以上前、あるいはもっと前までさかのぼれば、家電とか精密機器とか自動車とか、そのあたりだったのでしょうか。ちなみにいま通っているフィンランド語の教室で使っている教科書は、1970年代後半に初版が出た、外国人がフィンランド語を学習する際の「定番」とも言える本なのですが、そこにはこんな会話が載っています。
Kenen tuo kamera on ?
Minun.
Ahaa. Se on oikein hyvä kamera. Ja tietenkin kallis.
Niin on. Se on japanilainen.
Niinkö? Eikö se ole saksalainen?
Ei, vaan japanilainen.
Ai jaa.
あのカメラは誰のですか?
私のです。
ああ、それはとても良いカメラです。そして、もちろん高いです。
そうです。それは、日本製なんです。
そうなんですか? ドイツ製ではなくて?
いいえ、日本製です。
そうですか。
隔世の感というか、いろいろ感慨深いものがあります。
https://www.irasutoya.com/2020/04/blog-post_42.html
「職人といえば日本」というのは、私たちにはちょっと意外ですが、そういえば昨今中国で、「ニセ日本人職人」の鍋や鉄瓶なんかが高値で売られているというお話がネットを賑わせていました。
もっとも、留学生のみなさんによると「職人」はこういう工芸品だけのイメージではないんだそうです。「ラーメン職人」とか「フィギュア職人」とか、とにかくいろいろな分野で「こだわり」を持っていたり、細かすぎるほど細かくニッチな分野を掘り下げてみたり……みたいなイメージの総体が「職人」ーーそのまま“職人(zhírén)”と中国語になっています。辞書的には“工匠(gōngjiàng)”ですがーーなんですかね。
ほかにもいろいろな国籍の同僚に聞いてみたところ、「アニメと言えば日本」「礼儀と言えば日本」「秩序といえば日本」など多くの意見が出ました。「礼儀」などはそうかなあ? と思いますけど、これは「日本人といえばやたらペコペコお辞儀している」というイメージからみたいです。う〜ん、いずれにしてもステロタイプの弊を免れないですかね。