インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

高級な革靴の話

先日、黒い革靴を二足、修理に出しました。この二足はもう十五年以上履いていて、これまでに何度も修理に出しており、そのたびに数千円の修理代がかかっています。が、今回はそのうちの一足が靴底の全面張り替えが必要ということで、数万円の出費になってしまいました。

十五年ほどの間にかかった修理代を合わせれば、たぶんその間に新しい革靴が何足か買えたんじゃないかと思います。でも足に馴染んでいるので捨てるのはもったいないですし、なによりこの二足はけっこうお高かったのです。一足は「Crockett & Jonesクロケットアンドジョーンズ)」の、もう一足は「J.M. Weston(ジェイエムウエストン)」の靴。どちらも当時で八万円くらいしたと記憶しています。

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https://www.irasutoya.com/2015/02/blog-post_828.html

いまとなっては自分でもちょっと信じられないくらいですが、私は過去の一時期(ほんの一時期でしたが)通訳や翻訳でかなり稼いでいたころがあって、その「バブリー」なころの勢いで、こうしたおセレブな靴を買い求めたのでした。本当のお金持ちはこういうところで見栄を張ったりしないんだそうですが、私のような束の間の小金持ちはこうやって散財しちゃうんですね。

これだけではありません。黒のほかに茶色の革靴も何足か持っていて、そのうちのひとつはなんと「Berlutiベルルッティ)」の靴です。購入した当時でさえ、大卒初任給くらいのお値段がしました(現在ではその倍くらいはしているみたい)。ホント、お金の使い方を知らない人間が使い慣れないお金を持つとろくなことはありません。

ベルルッティは、靴を磨く仕上げにシャンパンを使う……みたいな「伝説」で知られているスノッブな、おっと失礼、ノーブルなブランドで、実際購入してから数年ほどは「シャンパンで愛用のお靴を磨くサロンへのお誘い」みたいなDMが私のワンルームアパートに(当時は再婚前で独身だったのです)届いていました。この靴ももう十五年以上修理を繰り返しながら履いています。

……が、この靴は一日履いていると足が痛くなります。いえ、靴の形は私にぴったりで(なにせ腕利きのコンシェルジュが私の足にピッタリ合うものを探してくれるんですから)履き心地は申し分ないのです。ただ、靴の底が薄くて、コンクリートやタイルなどの上を一日中歩いているとその反動が足に直に伝わって疲れるのです。

そう、買ってから悟ったのですが、だいたいこういう高級革靴を履くような方というのは、私みたいに一日中バスや電車や地下鉄を乗り継いで仕事に出かけたりはしないのです。ご自宅まで運転手つきのお車かハイヤーなんかがお迎えに来て、そののちも自分の足で歩くのはほんのわずか、そしてカーペット敷きの廊下から絨毯のお部屋へと移動するような、そんな感じで一日の仕事が推移していくような方々が履いているような靴なんですね。そりゃ私みたいにガンガン履いてりゃ足も疲れようというものです。

しかもここ五年ほどは、着るものに何の制限もない職場をメインにして働くようになって、いつもカジュアルな格好をしています。昔のようにスーツ姿でネクタイを締めることは年に数回あるかないかという生活になり、そのスーツも全部処分してしまいました。いまやカジュアルなジャケットが何着かと黒の礼服が残るのみ。当然、足元だっていつもスニーカーかスポーツシューズです。

というわけで、あんなに散在した革靴をもはやほとんど履かない暮らしになってしまいました。今回修理に出した革靴が、再び修理が必要になるまでにはけっこう長い時間がかかると思います。私的なバブリー時代にバカなお金の使い方をした革靴ですが、それでもこれだけ長く修理を重ねて履いてくるとそれなりに愛着もあります。たぶんこの先はもう革靴を一生買わなくてもすむでしょう。

追記

先日、留学生の「会席作法講習会」というイベントに引率で参加するため、久しぶりに革靴を履いて目白の椿山荘というこれまたおセレブなホテルに行ってきました。朝から茶色の「クロケット&ジョーンズ」を履いて一日過ごしたのですが、驚いたことにかつて感じたことがないくらい足が疲れました。革靴を一日履いていればそりゃ疲れますけど、それでも若い頃は特に苦痛とも思っていませんでした。

それが、いまや貴族御用達みたいなベルルッティのみならず、ビジネスシューズとして作られているはずの普通の革靴でさえしんどく感じるようになったのか……ここでも自分の「老い」をひしひしと感じたのでした。