インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

他人の靴を履いても歩きにくいだけ

こちらのリツイートで引用されていた、「他人の靴を履いても歩きにくいだけ」というスナフキンの言葉、いいですねえ。

人は人、自分は自分。自分の周りにはすごい人、すばらしい人がたくさんいて、ついつい自分を見失ってしまいがちですけど、人と自分を比べない、比べても意味がないという気持ちを持ち続けられるかどうかが「心の安寧」に大きく関わっているような気がします。

それはそうと、英語やスペイン語の「〇〇の靴を履く」という表現もおもしろいです。フィンランド語にも同じような言い方があるのかなと思って、Twitterで聞いたみたら、こんなリプライをいただきました。

なるほど、時々使われる言い方だと。その後にある“käyttää kenkien tilalla housuja”というのは「ズボンの代わりに靴を履く」ということ? よくわかりませんけど、靴はズボンの代わりにならないということで「靴は靴、ズボンはズボン」ということなのかしら。また否定的な文脈で使われるという "en haluaisi olla hänen housuissaan" ってのも興味深いですね。「私は彼/彼女のズボンになりたくない」。これも「人は人、自分は自分」という意味なのでしょう(たぶん)。

一度どこかの公民館だったか集会所だったかで、玄関にずらっと脱ぎ置かれていた靴の中から自分のスニーカーを見つけて履いてみたら、似たようなデザインの他人のものだったということがありました。あのときの違和感はよく覚えています。見た目も大きさもそっくり。でもその人の足にあわせて微妙に変形している靴は、他人には絶対合わないんですよね。自分は人の人生を生きることはできない。とても大切な戒めだと思います。

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