こちらのリツイートで引用されていた、「他人の靴を履いても歩きにくいだけ」というスナフキンの言葉、いいですねえ。
#英語 でも #スペイン語 でも
— わややぁ (@sappawayya) December 24, 2020
「〇〇の立場に立って考える」を
「〇〇の靴を履く」と表現しますね。
Put yourself in his shoes.
Ponte en sus zapatos.
あいつの身にもなってみろよ。#ムーミン に縁深い #フィンランド語 や #スウェーデン語 でもそう言うんでしょうかねぇ?#生きたスペイン語 https://t.co/6JF8eo9Hta
人は人、自分は自分。自分の周りにはすごい人、すばらしい人がたくさんいて、ついつい自分を見失ってしまいがちですけど、人と自分を比べない、比べても意味がないという気持ちを持ち続けられるかどうかが「心の安寧」に大きく関わっているような気がします。
それはそうと、英語やスペイン語の「〇〇の靴を履く」という表現もおもしろいです。フィンランド語にも同じような言い方があるのかなと思って、Twitterで聞いたみたら、こんなリプライをいただきました。
Joskus käytetään. Tästä on myös olemassa monta muunnosta, joista yksi on käyttää kenkien tilalla housuja. Lauseen sisältö menee toki hieman negatiivisemmaksi, esim. "en haluaisi olla hänen housuissaan". Kenkien tilalla käytetään usein myös saappaita (boots).
— Mangetsu (@mangetsuhoshi) December 25, 2020
なるほど、時々使われる言い方だと。その後にある“käyttää kenkien tilalla housuja”というのは「ズボンの代わりに靴を履く」ということ? よくわかりませんけど、靴はズボンの代わりにならないということで「靴は靴、ズボンはズボン」ということなのかしら。また否定的な文脈で使われるという "en haluaisi olla hänen housuissaan" ってのも興味深いですね。「私は彼/彼女のズボンになりたくない」。これも「人は人、自分は自分」という意味なのでしょう(たぶん)。
一度どこかの公民館だったか集会所だったかで、玄関にずらっと脱ぎ置かれていた靴の中から自分のスニーカーを見つけて履いてみたら、似たようなデザインの他人のものだったということがありました。あのときの違和感はよく覚えています。見た目も大きさもそっくり。でもその人の足にあわせて微妙に変形している靴は、他人には絶対合わないんですよね。自分は人の人生を生きることはできない。とても大切な戒めだと思います。