インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

言語はこうして生まれる

“For sale, Baby shoes, Never worn.(売ります、赤ん坊の靴、未使用。)”という、英単語たった6つの「物語」が冒頭に載せられています。注釈によれば、これはヘミングウェイが作った最短の物語という都市伝説まで生まれたほど有名なものなのだそうですが、筆者はこれを「読む人の多くに強い感情を呼び起こす」と書いています。なるほど、ここから私たちは、ついに靴を履くことはなかった子供のこと、この広告を出した親の心情さまざまなことを読み取りますよね。

『言語はこうして生まれる』の筆者、モーテン・H・クリスチャンセン氏とニック・チェイター氏は、ここに言語の機能の核心があると言います。「相手が何を言っているのかを完全に理解するには、その言語的手がかりと自分のそれまでの知識ーー世界全般について、互いについて、前に話したことについてーーをもとにして、なんらかの解釈をこしらえる必要があ」り、そのプロセスの末に生み出されてきたものがほかならぬ言語なのだと。


言語はこうして生まれる

この本では、人類の言語の本質がコミュニケーションの相手との同調を図って共通理解にいたる「ジェスチャーゲーム」であると主張しています。そうやって長い長い年月をかけて、人類の文化が紡ぎ出してきたものなのだと。その意味でこの本は冒頭から、人類の脳には基本的な言語機能が生得的に備わっているとする、いわゆる「生成文法説」を真っ向から否定しています。そしてこの本を読み終わるときには、その鮮やかで説得力のある「言語の起源」と、いまもなお言語が我々自身によって不断にアップデートされ続けている*1という事実に、すっかり魅了されてしまっているのです。

帯の惹句にもあるように「誰かに耳打ちしたくなるような洞察に満ちている」この本ですが、内容はぜひ買って読んでいただくとして(この本の全貌をレビューするのは、私の手にはとてもじゃないけど負えません)、ひとつだけ、自分の仕事にも関係のある「翻訳」についての一節を引きます。

最先端の翻訳システムがやっていることは、言語にある統計的パターンを学習し、異言語間の統計的な合致を見つけ(人間によって翻訳されてきた文書をマッチングさせ)、それらをまとめあげることであり(中略)この処理に、豊かな隠喩的プロセスはまったく介在していない。過去の会話や経験や、世界についての知識にもとづいて意図される意味にセンテンスをぴたりと写像するプロセスがごっそり抜けている。(中略)いうなればコンピューターは、コミュニケーション氷山の先端部分ーー単語、句、文ーーしか相手にしていない。コミュニケーション氷山の水面下に隠れた部分、すなわち人間の言語を可能にしている文化的、社会的なあらゆる知識からなる部分をまったく考慮に入れていない。だからコンピューターからすると、あの第1章で見た六単語の物語ーー「売ります。赤ん坊の靴。未使用」ーーも、典型的な案内広告以外の何物でもない。深い悲しみも、心痛も、共感も、人間の読者なら多くが抱くであろうどんな感情も呼び起こさない。(313ページ)

なるほど、コンピューターとそのネットワークがどれほど森羅万象を圧倒的なデータ量で網羅したとしても、人間のコミュニケーションの根底にある部分についてはまったく手がつけられていないというのは、この本を読んだあとでは強く首肯せざるを得ません。となれば、人間の手による翻訳も通訳もまだ当分の間は(いや、人間のコミュニケーションの本質に立脚すればひょっとすると未来永劫)実現しないのかもしれません。さっそく同僚や学生さんたちに「耳打ち」してこよう。

この本で明らかにされる言語の本質についての主張は「文化が人間を進化させ、そうして進化した人が文化を高度化し、高度な文化がさらに人を進化させ」たと説く『文化がヒトを進化させたーー人類の繁栄と〈文化-遺伝子革命〉』と基本的に同じだと思います。どちらもべらぼうに面白いので、合わせて読まれることをーーあ、できればケイレブ・エヴァレット氏の『数の発明』も加えてーーおすすめします。


文化がヒトを進化させたーー人類の繁栄と〈文化-遺伝子革命〉


数の発明

*1:この点で、いわゆる「日本語の乱れ」に代表されるような、昔からある言葉のうるさ方たちの心配も杞憂なのだと。「言語をなるがままに任せ、学校の先生や偉い学術団体や自称文法専門家に介入をさせなくても、言語が言葉の体をなさない一連のうなり声に堕することはない(165ページ)」。