なぜ料理本やレシピの説明文は命令形ではないのか。英米文学者で文芸評論家の阿部公彦氏のこんなツイートに接しました。
たとえば、ですね。以下。
— 阿部公彦 ABE Masahiko (@jumping5555) March 19, 2021
「豚肉のしょうが焼き」
1.豚肉に下味(しょうゆ、酒―各大さじ1。しょうがの絞り汁―大さじ1/2)をまぶし、全体によくほぐす。(土井善晴『土井家の「一生もん」 2品献立』より)
ここ、なぜ「ほぐす」なのか。なぜ「ほぐせ」じゃないのか、とか。いわゆる命令形問題 https://t.co/f3vnm2r7wK
なるほど、指示をする文脈だから命令形でもいいのにね。阿部氏によると、試験問題などでは「解け」のように命令形が見られるそうです。そういえば、はるか昔のNHKの番組に『クイズ面白ゼミナール』というのがあって、司会の鈴木健二アナウンサーが「答えなさい」「書きなさい」などの命令形で出題していました。子供心に「なんか、エラそうだな」と思ったのを覚えています。やはり命令形は上から目線なんでしょうね。
個人的には料理番組などで手順を解説する際に、多くの方が「ほぐします」ではなく「ほぐしていきます」と言うのが気になっています。「切っていきます」「入れていきます」「盛りつけていきます」……なぜ現在進行形なんでしょう。この点を阿部氏はこうおっしゃっています。
これ、別の方からもご指摘いただきました。「婉曲」(一種のポライトネス)じゃないかと思ったりします。(この「ったりします」的な) https://t.co/MjQemBiHcq
— 阿部公彦 ABE Masahiko (@jumping5555) March 19, 2021
なるほど、「ほぐします」だと断定的だけど、「ほぐしていきます」なら徐々にやっていきますよ、慌てなくていいですよ……という感じで、視聴者に対する押し付けがましさが薄まるのかしら。
料理レシピの文章というのは奥が深いものがあって、これだけを専門に解説した書籍もあります。この本を読むと、いかに的確に料理の手順を伝えるかについて、実に細かい配慮がなされていることがわかります。私も料理本を読むのが好きでかなりの数を持っていますが、たしかに書き手によって料理の作りやすさがちがうなあというのは感じます。
▲『おいしさを伝えるレシピの書き方Handbook』18ページ。
また、Twitterにも「140字レシピ」というのがあります。これなど、一種の職人芸的な文章センスが必要とされそうです。料理の手順を述べる文章には独特の世界があるんですね。
料理の手順を述べる文章といえば、かつて中国語の学校に通っていたころ、「“把”構文」を学んだときに数多く接しました。中国語は日本語と語順がかなり違い、多くの場合は英語同様に「SVO(主語→動詞→目的語)」なのですが、この“把”構文(ばーこうぶん、と読みます)を使うと、目的語を前に出して「SOV」にできる、つまり日本語と同じような語順にできるため、日本語母語話者にとってはなじみやすい文型です。
しかも“把”構文は別名「処置文」とも呼ばれ、目的語に対して何らかの処置を施したり、影響を与えたりすることを述べる構文です。私はこの構文をもじって「〜をば(把)……する」というように、ちょっと古風な言い方で覚えていました。「〜」に処置される目的語を入れ、「……」にその処置を加える動作を入れるのです。
そしてこれは、料理の手順を解説する文章にうってつけなんですね。というわけで、実際に中国語の文章でも、料理レシピには数多く“把”構文が使われています(少々堅い文体では“將”が使われます)。例えばこれは、“西紅柿炒雞蛋(トマトと卵の炒めもの)”の作り方です。
做法
1、將西紅柿洗淨後用沸水燙一下,去皮、去蒂,切片待用。
2、將雞蛋打入碗中,加鹽,用筷子充分攪打均勻待用。
3、炒鍋放油3湯匙燒熱,將雞蛋放入鍋中炒熟盛出待用。
4、將剩餘的油燒熱,下西紅柿片煸炒,放鹽、糖炒片刻,倒入雞蛋翻炒幾下出鍋即成。※赤い文字が“把(將)”です。
“把”構文は「主語+把+処理されるもの+動詞」というようにSOVの語順にした上で、動詞に必ず「+α成分(補語など)」が必要です。上掲のレシピでもすべて動詞(青い文字)と+α成分(緑の文字:補語)になっています。たとえば最初の手順では“將西紅柿洗淨(トマトを「ば」、洗ってきれいにする)”ときれいに「把(將)OV+α(主語は省略されています)」になっています。
私は料理が好きなので、こうやってレシピをたくさん読むことで“把”構文を覚えたのでありました。