インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

BTSとARMY

先日卒業式を迎えたばかりのアルゼンチン人留学生が、進学先の大学に提出する書類の手続きか何かで学校の事務局に寄り、教員室にも顔を出してくれました。彼女はK-POPの熱狂的なファンです。特にBTS防弾少年団)が大好きで、選択科目で韓国語を履修していたくらい傾倒しています。

それで、その日も何かの話の流れで韓国のボーイズグループの話題になりました。私が「日本のアイドルもそうだけど、みんな同じ顔に見える」などと失礼な与太を飛ばしていたら「そんなことないんです!」というわけで、ネットにあった写真を利用して「名前当てクイズ」をやってもらったところ……ほぼ全問正解でした。当然なんでしょうけど、ファンの情熱ってすごいです。

同じ日に、ネットで面白い記事を見つけました。私と同じような50代のオジサンが「BTSの『沼』にハマった」というお話です。
gendai.ismedia.jp

BTSというと、“10代の女の子たちのアイドル”、“K-POP好き、韓国好きな人がハマるもの”という固定概念を持っている人がまだまだいる。しかし、現実のファンダムは驚くほど幅広い。

ファンダムというのは、単に個々人のファンとその行動に留まらず、ファンの人々が作り出す文化までを含めた言葉ですよね。日本でもアイドルのファンや追っかけと呼ばれる人々の行動が時にニュースの話題になり、社会現象になり、時には事件も引き起こすなど大きな影響力を持っています。そうした現象すべてを包括した言葉だと理解(……でいいのかな)しています。

興味を持って、この記事に出てきた『BTSとARMY わたしたちは連帯する』も読んでみました。なかなかに興味深い内容でした。

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BTSとARMY わたしたちは連帯する

私自身はこれまで芸能人やアーティストの誰かにそこまで傾倒したことはなく、かつて台湾エンタメ関係の仕事をしていた時にも、ファンの心理にいまひとつついて行けていない自分を感じていました。でもまあ、そういう一歩引いたスタンスだからこそ仕事ができたのかもしれません。だって、本当のファンだったら、その憧れの人たちを前に通訳や翻訳なんて仕事は手につかないですよね。

この本でも、自らの「推し」であるBTSとその楽曲を世界中でメジャーなものとするために、ありとあらゆる手段を駆使して応援するというライフスタイルが熱を帯びた文章で解説されています。その一方で「K-POPエンターテインメント産業のファンは、推しに関するすべてが消費に換算される消費助長システムの人質に過ぎないという見方も存在する(166ページ)」という批判も紹介されています。

私がエンタメの世界をやや引いたスタンスで見てしまうのは、そういう消費を煽る姿勢に懐疑的だからです。それでもこの本を読んで、これがもう旧来のアイドルとそのファンというありようではなく、SNSが発達し、あらゆる旧態依然とした価値観が見直しを迫られている中での潮流であるということはじゅうぶんに理解でき、少々考えを改めました。

この本で紹介されている、BTSのファンダムである「ARMY」は、例えば「推し」のために同じアルバムを何十枚も購入するような、まさに「消費助長システムの人質」的な存在とはかなり違っています(依然そういう人もいるだろうけれども)。むしろBTSの楽曲や言動に共感し、そこに自分の人生を重ね合わせ、さらにより良い社会を実現するために積極的な働きかけをしていこうとする社会活動家のような側面を持っているのです。そしてBTSのメンバーもまた、そうしたARMYの動きや意見を受け取って、自らの偏見や短見を修正し、成長していくというインタラクションや循環が起こっている。

例えばブラックカルチャーをきちんと理解せずに黒人のスタイルや英語を真似するという態度に関連して、こんな記述があります。

考えてみてほしい。英語圏の人たちがアジアからの移民の英語の発音を真似するのを見たら、どんな気持ちになるだろうか。発音を面白がる裏には、英語がうまく使えない移民にたいする軽蔑と優越感がかすかに存在している。(100ページ)

これについてこの本では「編集部注」としてこんなことが書かれています。「日本のK-POPファンダムにおいても、K-POPアイドルの日本語の発音について、嘲笑したり、「かわいい」と評したりすることがあり、ファンダム内外から指摘する声がある」。こうしたファンダムの思考は傾聴に値します。

このようなBTSとARMYが視野に入れている社会問題には、ミソジニーや黒人差別の問題、性的マイノリティへの視線、異文化間のステロタイプな先入観、さらには日韓関係や過去の歴史問題までが含まれています。例えば、メンバーが着ていたTシャツが問題になった件についても、ARMYが編集・発行した「白書」などの取り組みが紹介されています。こうした場面に関わるARMYの「翻訳家」たちの行動も、非常に興味深いものでした。

その翻訳に関連して、BTSが韓国語での楽曲発信にこだわりがあり、それが欧米、特にアメリカの人々の外国語観、異文化観に影響を与えているという部分は、これまでになかったすごいことだなと感じます。どちらかというと内向き、あるいは逆に初手から英語で発信しなきゃと思い込んでいる(かつアジアにはあまり目が向いていない:目を向けられてはいるけれど)日本のエンタメの状況と引き比べてみると、その特異性が浮かび上がってくるような気がします。

ただしその一方で、説明が不十分で背景がよく分からない事例もありました。例えば……

伝説のラッパー、クーリオがBTSのメンバーを前に「ラッパーがステージで言う『Turn up』の意味を知っているか?」とたずねる。メンバーたちは冗談交じりに「Let’s go party?」と答えるが、クーリオのこわばった顔を見て口をつぐむ。(101ページ)

……というエピソードが紹介されたあとにその解説がほとんどないので、黒人文化の背景知識がない読者は「どういうことだったんだろう」と隔靴掻痒感におそわれます。たぶん紙幅の制限もあったのでしょうし、この本がとりあえずはまずこの現象の全体像を描くという所に力点を置いているからかもしれません。

ともあれ、BTSとARMYが向けている「より良き世界」への視線には共感する点が多々ありました。私はBTSの楽曲といえば“Dynamite”しか知らないのですが、他の作品も聴いてみようと思います。上掲のオジサンのように私も沼にハマるでしょうか。


BTS (방탄소년단) 'Dynamite' Official MV