インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

じい散歩

最近、東京都心をできるだけ歩くようにしています。男性版更年期障害とでも言うべき不定愁訴は週に三回ほどのジムの筋トレでかなり解消されたのですが、有酸素運動が足りません。といってジムのドレッドマシンで三十分も四十分も走り続けるのはあまり面白くない。それなら仕事先からジムに行ったり、あるいはジムから帰宅したりする間の一部、あるいは全部をできるだけ歩くようにしようと。

例えば新宿で仕事をしたあとに外苑前近くにあるジムに行く場合、これまではいくつかの鉄道路線を乗り継いで三十分ほどで移動していたのですが、結構遠回りになります。これを直線に近い形で歩いてみるとほぼ四十分程で到着する事がわかりました。電車に乗るのと十分程度しか変わりません。

先日は半蔵門で仕事をしたあとにやはりジムまで歩いてみましたが、これも意外にすぐ到着できました。電車や地下鉄に乗っているとそうした距離感が曖昧になるのだなと思いました。実際に点と点をつなぐように歩いてみると、東京の都心がこれまでとは違った様相で見えてくるのがなかなか面白いです。

いつもは駅周辺の街と別の駅周辺の街を「飛び飛び」に体感しているのが、ひとつづきになる。もともと街はひとつづきなんですけど、「ああこの街のこの道の先が、あの街のあの道につながっていたのか!」と改めて分かることで、もう何十年も行き来して知っているつもりになっていた東京都心がすごく新鮮に見えるのです。

しかもその道々に面白そうなお店や変わった建物があって飽きません。もちろんこうした道も、毎回歩くようになるとだんだんその新鮮さは失われていくでしょう。というわけで、時には路地を一本入ってから並行して走る道を歩いたり、わざと地下鉄の駅を一つか二つ乗り越して戻ったり、いろいろな歩き方をしようとしています。

そうやって歩くことを意識していると、不思議なもので「歩くこと」に関する本と次々に出会いました。昨日書いたペール・アンデション氏の『旅の効用:人はなぜ移動するのか』もそうですし、そのあと図書館で見つけていま読んでいるレベッカ・ソルニット氏の『ウォークス 歩くことの精神史』もそう。そして複数の新聞の書評欄で取り上げられていて興味を持った藤野千夜氏の小説『じい散歩』もそうでした。

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じい散歩

この小説、読みだしたら止まらず、最後まで一気に読んでしまいました。主人公の新平は九十歳になんなんとするお年寄りですが、いたって健康かつ食欲も旺盛。認知症の気配が見え始めた妻、引きこもりで同居している長男、「自称・長女」の次男、アイドル絡みの事業を志すも失敗して出戻ってきた三男というかなりユニークな家族に加え、さまざまな人物が入れ代わり立ち代わり登場する物語。

みんながそれぞれに面倒くさくて、きわめて小市民的で、弱みもいっぱい持っているのですが、とことん悪い人間はひとりも登場せず、なんだかんだと問題はありながら「それでも人生は続いていく」という不思議な明るさのある世界です。折しもコロナ禍で何かと閉塞感の漂う昨今、それに加えて政治家や官僚の劣化があまりにも進みすぎて本当に気分の晴れない毎日ですけど、ああそれでも我々はこうやって生きていけるのかもしれない……というなにか励ましのようなものを感じた小説でした。

なにせ主人公の新平がその歳ですから、物語の時間のスパンは戦前から現代までと極めて長いのですが、重さは一つも感じさせないのが作者の筆致の妙です。しかも身近なエピソードを語る際にも時間の前後がぽんぽんと入れ替わり、これも軽妙な読書感に貢献しているように思えます。さらに時間軸は現代のコロナ禍にまでつながり、最後にちょっとした「しかけ」まで。物語をじゅうぶんに楽しみました。