インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

東京の都心を歩く

街の風景や建物を見ていて、ときどきとてもはかない気持ちになることがあります。「世の中はこんなに複雑で豊穣で、ずっと昔から続いてきて、これからもずっと続いていくのだろう。この風景や建物だって自分が死んだ後もある程度はここに残り続けるのだろう。それなのに自分は……」という気持ちです。

最近、ジムでの有酸素運動の代わりに、東京の都心をできるだけ歩くようにしています。ちょっとした移動の際には公共交通機関を使わず、歩いて行くのです。そうやって見て初めて気づきましたが、公共交通機関を利用する際の待ち時間や乗り換え時間などを含めて計ってみると、歩いて行ってもそれほど大きな時間差はありません。30分のところが40分になるとか、せいぜいそれまでの1.5倍くらいの時間で歩けてしまいます。

これまではその駅の周辺の街しか知らなかったのが、続けて歩いてみると街全体がもっと大きなスケールで見えてきます。そうやって、東京の都心を点と点をつなぐように歩いていると、改めてこの東京という街のスケールと複雑さに圧倒され、一種の感慨を覚えます。先日は、半蔵門から永田町を通って赤坂見附辺りまで歩きましたが、途中に江戸城の石垣と堀の跡が残っているところがあります。その巨大な石垣を見たときにも、冒頭のような気持ちになりました。

tokyo-trip.org

この石垣は江戸の昔からずっとここにあって、時代の移り変わりとともに街の風景の一部として溶け込んできたわけです。そしてたぶん、今後も何十年、何百年という単位でここに残り続けるはず。石垣のような歴史的建造物だけでなく、例えば目の前に立っている最近落成したあのビルだって、スクラップアンドビルドが激しい東京都心ではあっても、たぶんあと数十年はこの風景の一部であり続けるでしょう。

いっぽうで私は、どんなに努力して、かつ運が味方してくれたとしても、せいぜいあと20年から30年ほどしか生きられないはずです。そのあとにもこの風景や建物は残り続け、その時代に生きる人たちがここを歩き、風景や建物はその人たちを迎え入れているでしょう。よほどの天変地異や大災害が起こればまた違う未来になるかもしれませんが。

それでも風景や建物はまだ少しずつ変わっていくでしょうけど、その場所の起伏や高低差などはたぶんそれほど変わらずにずっと残っていくはずです。そう、東京都心を歩いていると、その起伏や高低差がとてもリアリティを伴って感じられます。それまで公共交通機関で点から点へワープするように移動していたときには感じられなかった「街A」と「街B」の間にある高低差。これはもう確実に今後も何百年という単位でここに残っていくでしょう。地形にことさら偏執的な興味を寄せる(褒め言葉)NHKの番組『ブラタモリ』を引くまでもありません。

東京都心を歩くことで、そんなふうに街が見えてくるというのはとても意外な発見でした。もうかれこれ何十年もこの街に住んでいるというのに。これもまた歳を取ったということなのかもしれません。

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