インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

中国語を話すと大声になる?

お昼ごはんを作りながらテレビをつけていたら「中国人観光客はなぜ声が大きいのか」という話題をやっていました。そもそも「〇〇人はこう!」と一緒くたに語ること自体にあまり意味はないように思います。でも、正直に申し上げれば、私自身の経験からしても「確かに声が大きい人が多いなあ」とは感じます。

テレビ番組では中国人のコメンテーターお二人が「中国は人が多いし、空間はデカいし、大きな声を出さないと聞こえないんですよ」とおっしゃっていました。なんだか分かったような分からないようなコメントですけど、たしかにそういう側面はあるのかもしれません。というか、声高に主張しなければどんどん自分が不利になっていくという、いわば生き馬の目を抜くような社会のあり方(なかんずく、中華人民共和国の建国から数十年、文革に代表されるような人心を荒廃させた社会のあり方)がそうさせているのかもしれません。あるいは「人は人、自分は自分」というリアリスティックな考え方をする人が多く、日本のような同調圧力が比較的薄いからなのかも。

世代の差があるという人もいます。比較的年齢の高い方は大声で話す人が多いけれども、若い世代になるほど、それも異文化に触れる機会が多い人ほど、往来で過度な大声を出すのはエチケットに反すると考える人がおおいんじゃないかと。でも、こういった説明はどれもいまひとつピンときません。私が知っている範囲でも年令を問わず声の小さい中国人はいますし、結局は個々人の差じゃないかとも思えます。

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https://www.irasutoya.com/2020/01/blog-post_651.html

ただ、自分自身でひとつだけ実感をともなって言えるのは、中国語を話すと自然に声が大きくなるということです。大きくなるというより、ダイナミックになる。もとから「地声」が大きい私が言ってもほとんど説得力はないのですが、私は日本語を話している時と中国語を話している時では、明らかに自分の性格が違っているのを感じます。どうも中国語のほうが声が大きくなるみたいなのです。

先日も「新型コロナウイルス」に関して箱根の駄菓子屋さんが店に掲げたという差別的な張り紙について、中国人の同僚と意見交換していました。話題が話題なだけにけっこう会話が盛り上がる要素はあったにせよ、かなりな大声で話してしまい、回りの同僚がちょっと引いているのがなんとなく分かりました。中国語を話すとつい大声になっちゃうのは、なぜなんでしょうか?

中国語には「声調」という音の高低や上がり下がり、つまりメロディのようなものがあって、それで意味の区別をしています。日本語にも音の高低やイントネーションはありますが、それほどクリティカルな要素ではないですよね。仮にまったく音の高低をなくして平板に話しても、不自然ではあるものの意味は伝わります。でも中国語はもう少し旋律を伴わないと、言い換えれば日本語よりは多少ダイナミックに話さないといけない。だから自然と声が大きくなるのかもしれません。

まあ私の場合は中国語が母語ではないので、話すときに日本語よりはもう少しエネルギーが必要です。つまりそれだけ必死になって話しているということで、だからついつい声を張って大きくなるのかもしれませんが。

ただ、東京の都心に毎日通っていて、日々中国語をはじめとしてさまざまな外語が飛び交っている電車に乗ることが多い自分の印象から言えば、声が大きいのは何も中国語の方々だけではありません。他の言語の方々もけっこうな音量で話してらっしゃる。そうすると、中国人の声が大きいと感じるのは、単にそれが自分の母語ではないから、馴染みの音ではないからなのかもしれません。ただ観光客にせよ住んでらっしゃる方にせよ、人数から行けば中国語を話す方が圧倒的に多いので、「声が大きい外国人」のサンプルとして中国人が上がってくる確率が高いのかも。

私は公共の場所はできるだけ静かな方が好きな人間ですが、旅先でつい気持ちが高揚して声が大きくなるってこともあるんじゃないかと思っています。インバウンドが増えて経済が活性化すると外国人観光客を受け入れるなら、そういう「異質」な文化との「違和感」にも多少は慣れていくしかないと思います。多様性を尊重するという言葉は素敵ですけど、それは一面そういう違和感をも受け入れていくことなんですよね。