「WeTV」の動画に日本語字幕がつくようになったーー。先日、Twitterでそんな情報に接しました。
すごい…ついに腾讯视频の国際版「WeTV」に日本語字幕が付く日が来たよ...😭最近放送スタートした中国ドラマをこんなに早く字幕付きで観れるなんて感動しかない……まだ予告編しか公開されてないけど楽しみだ😭 pic.twitter.com/UALnsi1OYM
— 鹿娜🦌Luna (@luuuna_x_) January 7, 2021
韓国や台湾のドラマに比べて中国本土のドラマはまだあまり日本に紹介されていませんが、これであらたなファン層が生まれ、一気に広まるかもしれません。かねてからの中国ドラマファンにとっても朗報でしょう。WeTVには無料で視聴できるものも結構たくさんあって、さっそく私もいくつか観て来ました。YouTubeで字幕を選ぶのと同じ感覚で日本語を表示させることができます。これは本当にすごい。
ただ、すごいと思うと同時に、これでまた翻訳の「社会的価値」とでもいうものが一段と下がってしまうのだろうなという感慨もいだきました。翻訳者がこれまで心血を注いできた様々な理念や技術が、ほとんど無価値なものとして顧みられることなく捨てられていくのだろうなと。そして「大体のところがわかればいいんだよ」という、言語に対してある種「舐めた態度」がより広がっていくのだろうなという感慨です。
視聴してみればわかりますが、こうした動画サイトの字幕はかなり「やっつけ仕事」です。もともと日本語の字幕は一瞬の時間における可読性を考慮して「1秒間に4文字」(例外あり)という大原則がありますが、こうした字幕ではほとんど考慮されていません。特に少ない音節で大量の情報を表現できる中国語から、比較的「長ったらしい」日本語に訳す字幕においてはそれがより顕著です。
また表記の面でもほとんど工夫は行われていません。ひらがなばかり、あるいは漢字ばかりが連続する文字列をできるだけ回避するとか、同じ助詞の繰り返しを避けるとか、長い字幕でも二つの「ハコ(一枚一枚の字幕)」に収めて間を「ーー」でつなぐとか、一度に二人以上の発言を字幕化しない(どちらかを「オフ」にする)とか、そうした従来の字幕翻訳のルールは、ここでは存在しないにも等しい状態です。
上掲のツイートで紹介されている画像を例に取れば、“数学社就是我创办的”には「数学サークルは俺が作ったサークルだ」、“再见的时候好好再见”には「さようならのときはきちんとさようならするものよね」という字幕がついています。もしこれらを、従来の字幕翻訳のルールで訳せば、かなりの手直しが必要になるでしょう。「サークル」が二度出てくるのは避けるでしょうし、「クラブ」にして字数を稼ぐかもしれません。「さようならのときは……」はひらがなばかりが24文字も続くので読みにくいので、「気持ちよく別れましょ」のように原文の意図を汲みつつ簡潔な言い方にするかもしれません。
当然ながら一部は無料で配信している以上そこまで手をかけていられない、「とにかく訳して載せました、おわり!」 ……という感じでもしかたがない、それでも日本語で視聴できるだけありがたいではないか、という考え方もあると思います。私もそれを完全に否定するものではありません。中国のすぐれたドラマ作品が(いや正直に申し上げるなら、日本やその他の国のドラマ同様に玉石混交ではありますが)日本でより多くの人に届くのはいいことだとも思うのです。
ただ、こうして「経済的合理性」のみを追求して、言語のもつ奥深さがなかば切り捨てられ、大体のところが分かればいいんだとばかりに翻訳や通訳の価値が軽んじられていってもよいのだろうかとも思います。先日、アメリカ連邦議会にトランプ支持派がなだれ込んだ事件に関して、翻訳者の鴻巣友季子氏がこのようなツイートをされていました。
以前私が翻訳は偏向する・させることが出来るから怖いと書いたのは、こういうことも含みます。
— 🐈🦔鴻巣友季子(アトウッド『誓願』『獄中シェイクスピア劇団』) (@yukikonosu) January 9, 2021
翻訳学習者の方々には、言葉と触れあうのが純粋に好き、政治的なことには関わりたくないという人もいるのはよく知っています。しかし翻訳はその成立原理からして不透明性をはらむ。これは事実なんです。 https://t.co/hi8vRXpngm
「そのため、英語を読めて翻訳して発信する少数が「預言者」のようになっています」と元ツイートにありますが、支持者の日本語アカウントを偶々見て愕然とすることがあります。誤訳や不適切な機械翻訳がツイートされ、さらにそれを都合よく解釈した文言が拡散されていく。
— 🐈🦔鴻巣友季子(アトウッド『誓願』『獄中シェイクスピア劇団』) (@yukikonosu) January 9, 2021
そう、翻訳や通訳にはそうした「倫理観」のようなものが必要だと私も思います。それは言語の壁を乗り越えることがとてもエキサイティングな営みであると同時に、一面の怖さをも孕んでいると感じているからです。とはいえ、「経済的合理性」を追求した企業活動はもちろん止むことはありません。字幕翻訳に関しても、技術の発展とともに今後ますますこうした「安かろう悪かろう」が広まっていくのでしょう。
私はもう数年前に字幕翻訳は引退(というか廃業)してしまったので、いまさら自分の「営業的」なポジショントークをするつもりもありません。それでもやはり、こうした「安かろう悪かろう」の翻訳が普及してしまうことで、鴻巣氏のおっしゃる「語学力と倫理観」を備えた翻訳者が淘汰されていった先の未来を憂うものです。そしてまた、こういう字幕翻訳のあり方は実はドラマ作品自体の価値をも大きく損なっているのではないかと思うのです。