インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

玉電松原物語

東急世田谷線に「世田谷」という駅があります。無人駅で、ふだんは降りる人もそれほど多くないのですが、年末年始に開かれる「ボロ市」の時だけは異様に混み合います。でもそのボロ市も今年はコロナ禍のため中止になってしまいました。

私は自宅の最寄駅がこの「世田谷」なので、毎日利用しています。住所も世田谷区世田谷なので、友人や同僚からは「まあ、あの『お世田谷』?」などと揶揄されます。が、しかし、住んでいるのは狭い賃貸アパートですし、そもそも世田谷駅周辺はごくごく普通の住宅街です。特に私が住んでいるアパートの周りはかなり古びた建物が点在していて、そのうちの多くはどう見ても人が住んでいないご様子。

聞くところによると世田谷区は東京都内でも「空き家率」の高いところだそうで、特に私が住んでいる世田谷駅周辺から三軒茶屋駅北側の太子堂あたりまでは、世田谷区の中でもとりわけ空き家率が高いようです。三軒茶屋なんてけっこう人気の街だと思うんですけど、意外です。

https://www.city.setagaya.lg.jp/mokuji/kusei/002/d00161859_d/fil/12-5-3.pdf

これまた聞いた話では、かつての高度経済成長時代には世田谷区にマイホームを持つというのが一種のステータスで多くの人が移り住んで来たものの、その世代がごっそり高齢化する一方で家は古びていき、若い世代はそうした古い家に住みたがらない……という状況があるそうです。

世田谷区世田谷を挟んで南側は弦巻や桜新町といった街で、こちらはいかにもな高級住宅街が続いています。また北側にある豪徳寺梅丘・松原あたりまでも、結構なお屋敷がところどころにあります。それでもそれらを縫うように走っている東急世田谷線は二両編成の小さなトラムで、どことなく昭和感が残っていてのどかな雰囲気でもあります。『世界ふれあい街歩き』のBGMを流したら似合いそうな感じ。

その世田谷線、かつては「玉電」と呼ばれていたこの路線の松原駅(下高井戸のひとつ手前です)周辺を舞台にした、坪内祐三氏の『玉電松原物語』を読みました。私はいつも下高井戸で京王線に乗り換えて通勤しており、帰りは松原駅で一時下車してスーパー「オオゼキ」に寄るのが日課なので、とても親しみを持って、しかしすでに失われてしまった風景に現在の風景を引き比べながら読みました。

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玉電松原物語

今年の一月に急逝した坪内氏は私よりも少し上の世代ですが、この本に登場するかつての世田谷の風景は自分が子供の頃の風景ととても似通っています。舗装されていない道路、どぶ板、空き地、商店街の八百屋さん、魚屋さん、肉屋さん、そして書店に古本屋さん……。

現在の松原駅周辺はこの本に描かれた半世紀前の風情とはずいぶん違っていますが、それでもどこか牧歌的な雰囲気はかすかに残っているような気がします。それに坪内氏が現在と過去を比較しながら書いているので、昔を知らない私でも容易に感情移入できる。先日、下高井戸駅改札を出たところにある啓文堂書店の入り口には、この本がたくさん平積みされていました。沿線住民にはうれしい本だと思います。

ただし、文体は独特です。過去のことを語っているから当然かもしれませんが、やたら「〜した」「〜あった」が続きます。それに語られている内容はごくごく私的かつローカルなことばかり(帯には「私小説のごとき昭和文化論」とありました)なので、沿線住民ではない方が読むとピンとこないかもしれません。それに坪内氏独特の、ある種の上から目線な「インテリ臭」も読者を選ぶ可能性があります。

それでも、たとえば街の書店について語られるくだりで「当時の街の普通の本屋は素晴らしい文化発信基地だった(つまりネット時代の今よりずっと豊かだったのだ)」といったような一節に接すると、ああそうだった、とこちらも一気に何十年も昔の光景に引き戻されてしばし追憶に浸るのでした。

そういう意味では、デジタルネイティブの方々にもあまり響かないかもしれません。いやでも、同じ世田谷線松陰神社前駅あたりにちらほらと出現している、若い方々が経営するお店のどこかレトロな雰囲気から察するに、「こんな魅力的な時代があったのか!」と意外に共感を得られるのかも。