インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

寄せ書きが苦手です

職場で、寄せ書きの紙が回ってきました。結婚や出産など慶事の際に同僚みんなでひと言お祝いの言葉を書いて贈りましょうというアレです。求められて私も書きましたが、そのあととてもひどい自己嫌悪に陥りました。なぜなら今回私は、お祝いの言葉を贈る相手のことをほとんど知らなかったからです。

なぜ「ごめんなさい、私はこの方のことを知らないので書けません」と言えなかったのでしょうか。もちろん、存じ上げないどこの誰かであっても、結婚や出産を言祝ぐ気持ちは、まあ、あります。だからとりあえず「よかったですね、おめでとう」と言ったり書いたりするのは、人としてはやぶさかではない。

けれどもほとんど知らない方の慶事に、わざわざ署名入りで「ご多幸を」だの「健やかな成長を」だのを「お祈りいたします」などの言葉をさらさらっと書き連ねる、そんなにも簡単に書き連ねることができてしまう自分を、とても気持ち悪いと思ったのです。だってそれ、心、全然こもってないじゃない。

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https://www.irasutoya.com/2016/02/blog-post_71.html

寄せ書きを企画されたのは、私が今の職場に入ったときに誘われた互助会的な集まりです。毎年わずかばかりの会費を集めて、こうした慶弔時にお祝いやお見舞いを出すというもの。かつて妻がクモ膜下出血で入院したときにもお見舞いをいただきました。こうした会はけっこうどこの職場でもあるのではないかと思います。私も最初はほんの軽い気持ちで「じゃ、私も一口」と入ったのです。ただ私は、来年度以降は抜けようと思っています。

慶弔時のお祝いやお見舞いは職場の公式(?)なものもありますし、もとより私は職場の就業規則に盛り込まれている慶弔規定以外のものには期待をしていませんし。それに何より寄せ書きやら花束やらを贈ったり贈られたりというのに、なにかこう同調圧力のようなものを感じるようになってきたんですよね。そうしたことに参加しないなんて「人としてどうなの」的な。

本当にその人のことを思って、お祝いしたいとかお見舞いの気持ちを表したいとか、あるいは援助したいとかカンパしたいとか考えるなら、就業規則も互助会的なものもさておき、個人で率先して行動に移します。だからみんなで一斉に横並びでお祝いとかお見舞いとかに参加するのはやめようと思います。

じゃないと、今回みたいに「毎回そうしているから」という理由だけで、よく知りもしない人に対して心にもない(いえ、まったくの他人であってもめでたいことはめでたいとは思いますけど)言辞を書き連ねるなんて恥ずかしいことをする羽目になります。せっかく数年かけて年賀状みたいな虚礼も廃してきたのですから、この路線で今後も行きます。

……それに、これはあまり大きな声で言えませんけど、寄せ書きってもらってもあまり読まないんですよね。ありがたい(あるいはお手間をかけて申し訳ない)とは思うけれど、一度目を通してそれっきり。そしていろんな人の思いがこもっているという「重さ」からか、あとあと捨てにくくて困る。こんな非情なことを言っているのは私だけでしょうか。