インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

カルト宗教やめました。

たもさん氏のマンガ『カルト宗教やめました。』を読みました。前作『カルト宗教信じてました。』の続編で、「エホバの証人」を自分の意志でやめたあとの日々を描いています。

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カルト宗教やめました。

私もかつて母親の影響で、とあるカルト宗教の影響下で青春時代を過ごした過去があり、前作同様いくつも共感できる部分がありました。カルトの種類こそ違え、人々を騙し誘い込む手法や、世の中を極度に単純化して捉える世界観など、共通する部分が多いと思いました。前作『カルト宗教信じてました。』を読んだときにはこれを書きました。

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今回共感したのは、たもさん氏の夫「カンちゃん」のこんな述懐。

自分たちはノアのように宣べ伝えさえしていれば救われると信じていて
世の中の人はむなしい生き方をしていると思ってた
週末に居酒屋で
バカ騒ぎしているだけに見えた人たちも
本当は俺たちが布教活動に時間を費やしている間
ちゃんと勉強してちゃんと働いてちゃんと将来に備えていた

そしてたもさん氏は「むなしい生き方をしていたのは私たちってことだね……」とつぶやくのです。そう、カルト宗教の価値観に染まっていた頃は、私も同じような「世の中の人はむなしい生き方をしている」というような謎の優越感に浸っていました。それは今から思えば非常に傲慢でもあるし、またこの世界をあまりにも単純に捉えた、言わばとても知性に欠けた態度であったように思います。何かに絶対的に帰依するってことは、自分の頭で考えることを放棄するに等しいんですよね。

もう一つ印象深かったのが、たもさん氏が「大会」に参加して、スタジアムいっぱいの信者に圧倒され、テンション高めの演説や感動的な発表を聞きながら「妙な高揚感」に包まれる場面。私が入っていたカルト宗教は滋賀県の山奥に聖地とされる本部があるのですが、小学生の時はまだその建設途中で、何度か大会のようなものにも参加しました(母親に連れられて)し、建設の手伝いをする「奉仕」みたいなものにも参加したことがあります。

大会は、いま考えるとよくできていたというか、これがカルト宗教の人心掌握術なんでしょうね、私もものすごい「高揚感」を味わいました。大会の最初に祝詞(のりと)を何千人何万人の信者が一斉に奏上するときなど、毎日その祝詞を朝晩唱えている信者全員のユニゾンだけに「一万人の第九」どころじゃない荘厳な、いや、異様な音の空間が出現します。

そして、高さ何十メートルもありそうな巨大なもの教祖の写真が除幕されるときには、これまた大音量で(なにせ人家がまったくない山の中なので遠慮なく音を出せたものと思われます)なんとリヒャルト・シュトラウス交響詩ツァラトゥストラはかく語りき』の導入部が流されるんですよ。映画『2001年宇宙の旅』冒頭で使われているアレです。ファンファーレが最高潮に達するところで幕がさあっ……と降ろされる。

いま思い返すとそのあまりの劇場商法っぷりに笑ってしまいますが、小学生の私はすっかり度肝を抜かれて「妙な高揚感」どころか「非常な高揚感」に包まれていました。でも実は、こうした劇場商法を通じて信者から多額の献金を集めることがカルトの主要な「商売」なんですね。じゃなきゃ山の中に何百億円も投じて巨大施設を作ることはできません。うーん、やっぱり複雑な気持ちです。


2001 A Space Odyssey Opening in 1080 HD

「カンちゃん」は、そんな、今から思えば複雑な心境にならざるを得ないたもさん氏とご自分の「思い出」を振り返りながら、「思えばまずしい青春だったけど/まあそれも自分の人生なんだよな」と言います。すでにもう吹っ切れたような言葉ですけど、それも自分の人生だと受け止めることができるようになるまで、けっこう時間がかかったのではないかとお察しします。私も自分の中学高校時代は精神的にかなり「まずしかった」ですし、大学生の時に自分で洗脳を解いたものの、冷静に語れるようになったのはつい最近ですもん(上掲のブログを書いたときです)。

昨日たまたまTwitterのタイムラインで、脚本家・作家の一色伸幸氏がこんなツイートをされていて、なんだか心にしみました。

私の場合は病気や災害じゃないけれど、やはりすぐには語れないことだったのだなと思います。それでもいまではこうやって「まずしい青春だった」と書けるようになったのですから、まあよかったかな。いまはもう誰も恨んでいません。