インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

マスク問題

脳科学者の安宅和人氏がご自身のブログで、ファクトや論理を無視した空気ばかりが人の行動を左右する私たちの国の現状について警鐘を鳴らしていました。指摘は多岐にわたりますが、例えばいちばん卑近なところでは、いわゆる「マスク問題」について。

現在、明らかに意味のないオープンエア空間ですら、この国の人たちの大半は路上でもマスクをしている。驚くべきなのは大きなリスクなど本当に考えられない郊外の疎空間ですらそうであるということだ。

このマスク問題に続いて、HPVワクチンに関する認識について述べたあと、安宅氏はこう続けています。

21世紀に入って久しい現在ですら「この国ではファクトや論理より空気のほうが重い」ということだ。これは、行動規範だけを見れば、ほぼ途上国ということでもある。現在の状況を脱する、すなわち、空気、常識、権威で判断することが正義の時代を一刻も早く終了させる必要があるのではないだろうか。

kaz-ataka.hatenablog.com

私も、ひとりひとりがもう少し自分の頭で考え、事の是非を判断し、その結果を他人のせいにせず自分で引き受け、さらに「おかしいことはおかしい」と声を上げる訓練が必要なのではないかと思っています。ようは自立した・自律できる個人を育むということです。


https://www.irasutoya.com/2020/02/blog-post_418.html

ちょうど昨日の東京新聞朝刊のコラムで、宮子あずさ氏が同じマスク問題に絡んで「他者の行動に過敏にならない訓練」の必要を説いていました。

大事なのは、感覚の個人差を認めること。感染の問題さえなければ、マスクは基本的に個人の趣味の問題だ。

思考停止でマスクをし続けるのでもなく、今でもまだマスクをしているやつはみんな馬鹿だと切り捨てるのでもなく。かくいう私は現在通勤途中や勤務中で他人と近距離で会話をする時以外はほとんどマスクを外しています。もともとマスクが大嫌い(顔がムズムズする)というのもありますけど、いちおう「ファクトや論理」を自分の頭で考え、精査した上で「私はこう考えます」というのを表明しているようなつもりで。とはいえそこは極端に走らないよう気をつけ、人混みではさっとマスクを付け、明らかな開放空間ではサラッと外すということを繰り返しています。宮子氏とほとんど同じ考え方です。

TwitterなどSNSを覗きに行くと、マスク信者へのかなり厳しい言葉も飛び交っています。こうしたマスクを巡る人々の言動を見ていると、なんだかこの国では個々人の間に相互信頼というものが希薄なのかなと思います。相手も「ファクトや論理」にもとづく一定程度の教養と行動原則を持ち、それをお互いに認め合うことができる人間なのだという信頼。ひとりひとりが大人の市民であるという感覚と言ってもいいと思いますけど、これが少々欠けているのではないかーーそんなことを感じました。