コロナ禍は社会のあらゆる場所で、思いもよらなかった影響を及ぼしつつあります。特に人が集まる閉鎖空間は「三密」が容易に形成されてしまうため、いまだ「コロナ以前」の状態を取り戻せていません。私の職場でも教室のドアや窓を開け放しつつエアコンをつけるという「非エコ」な状況の中、間隔を開けて座り、なおかつ全員マスクにフェイスシールドに消毒液……およそ異様な光景が展開されています。
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閉鎖空間ということでは、演劇や音楽などのホールなどその最たるもの。知人に聞いたところによると、こういうエンタテインメント系はどこも壊滅的な影響を受けており、国の助成が手薄なことも相まってかなりの人々や団体が活動をやめてしまったり、業界から離れていったりしていて、その被害は計り知れない(というか、これからもっと顕在化してくる)とのこと。とかくエンタメは「不要不急でしょ」と言われてしまいがちですけど、毎日通勤電車であれほどの「密」が許されるんなら、静かに客席で鑑賞することの何が悪いのかと正直思ってしまいます。
とはいえ、観客は静かにしていられても、演者はそうも行きません。舞台上でみんながマスクをするわけにも行かないでしょうし、稽古や練習でもどうしたって飛沫が発生するでしょう。実はうちの学校も毎年「演劇訓練」をカリキュラムの大きな柱に据えているのですが、今年はどうしたものかと頭を抱えています。練習時にはマスクでなんとか乗り切るとしても、本番までマスクをつけるのは興ざめです。それに、そもそも発表の場としていた秋の学園祭自体が、今年は中止が決定してしまいました。
先日、お能の稽古で師匠宅に伺ったら、能楽界も徐々に公演を再開させつつあるものの、現場はかなり様変わりしてしまっているとのことでした。見所(客席)は市松模様状に座れない席を設けて、観客数を半減(当然興行収入も半減)。普段なら八名の能楽師が二列に並んで座る地謡も、互い違いに(つまり飛沫が前の人にかからないように?)座るなど、然るべき筋から要望が出されているそうです。新聞記事で読んだところによると、流儀(流派)によっては地謡がマスクをしているところもあるとか。
私も連吟などに参加したことがあるのでよくわかりますが、謡は、おとなりで謳っている人の息遣いや気配を感じながら謡うというのがとても大切なんですよね。師匠によると、それらを感じ取りにくい中で謡うのは、やはりとてもやりにくいそうです。また能の冒頭で登場して謡ったあとはずっと脇座に座していることが多い「ワキツレ」が、謡が終わったらすぐ舞台からはけてしまうといった措置も取られているそうで、師匠は「座しているワキも含めてひとつの風景なのに」と嘆いておいででした。
社会のあらゆるところに、思わぬ影響をもたらし続けているコロナ禍。伝統芸能にも思わぬ形で襲いかかっていることを改めて感じたのでした。