インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

能楽のファンを増やすために

能楽喜多流能楽師の金子敬一郎師が、能楽とプロレスの共通点についてツイートされていました。

このツイートに続くスレッドを読むと、能楽の面白さと独特さがお分かりいただけるかと思います。まさに能楽の魅力のひとつはここにあるんですよね。

初めて能楽を観たときに、それが一回限りの公演であること、公演の前にリハーサルやゲネプロのようなものを殆ど行わないことに驚きました。金子氏のスレッドにもありますが、能楽師それぞれが日頃から稽古を積んでおいて、いつでも最上のパフォーマンスが出せるようになっているのだと。ジャズのセッションみたいな感じですね。

公演前には発声練習とか柔軟体操みたいなものもほとんど行わないのだそうです。なるほど、これは武道のありようにも似ているかもしれません。現代の武道はもう少し入念に準備をして試合に望むと思いますが、かつての武道家あるいは武士のような人々は、ふだんから稽古を積んでおいて、いざというときにはすぐに「臨戦態勢」に入ることができたのではないかと想像します。

能楽は観るときにそういうセッションを楽しめるのも魅力ですが、じぶんが稽古や発表をするときにも同じようなことを楽しめます。もちろん素人の我々はプロの先生方の謡や囃子にいつも押し切られてばかりで、勝負はおろか駆け引きにさえなっていませんが、それでもごくたまに、金子氏のおっしゃる「公約数」を感じることがあります。例えばだんだんに「掛かって」(テンポが早くなって)いくところとか、拍子を踏むときのタイミングとか……。それが面白いのです。

しかし現在はコロナ禍の影響で、能楽の公演にしてもお稽古にしても、かなり困難な状況にあります。畢竟人が集まり、声を出すパフォーミングアートですから。これも先日、能楽狂言方大蔵流の大藏教義師が、大学生の能楽サークル存続の危機についてツイートされていましたが、確かに授業のための登校すらほとんど止まっている状態では、こうした伝統芸能系のサークルも新しい人が入ってこなくなるでしょうね。

といって、Zoomなどのリモートでお稽古をすればなんとかなるというものでもありません。自分も自宅で稽古をしていて感じますが、やはりある程度の広さのある空間で稽古しないとかなりのリアリティが失われてしまいます。また私たちのような趣味でお稽古をしている人は、たいがい広い空間に師匠と自分の二人だけということが多いので「密」からはかなり解放されていますが、大学のサークルはそうも行かないですよね。

しかし、能楽はプロの能楽師だけでは成立しません。江戸から明治期に能楽が衰退しかかったときにも、その復興を支えたのは趣味として謡や舞を楽しんでいた広範な人々の存在だったと言われています。ある程度の規模の能楽ファンが再生産されていかなければ、この伝統芸能を未来に伝えていくことは難しくなるでしょう。能楽に魅力を感じて、趣味として観たり稽古したりする人を(それもお若い方々を)増やすために、どんなことができるでしょうか(ということで、とりあえずこのブログを書きました)。

f:id:QianChong:20210123092825p:plain
https://www.irasutoya.com/2018/10/blog-post_83.html