世に「自己啓発本」と呼ばれる一群の書籍があります。私もこうした本の数々に手を出していた時期があるんですが、あれらは読んでいると不思議な高揚感や謎の全能感などに包まれます。おそらく「ここに真理がある!」とか「これをやれば成功できる!」みたいな人生のショートカット技が披露されているからなのでしょう。
他の人はまだ知らない、自分だけの「お得」を手にしたような感覚になるのかもしれません(公刊されているんだから、そんなはずはないのにね)。「キャリアポルノ」という呼称もあるくらいで、けっこう危ういジャンルではないかと、いまでは認識しています。
そんな自己啓発本が、私たちをどんな生き方に誘おうとしているのか、そこにはほんとうに危うさがあるのか、あるとすればどんな危うさなのか。それらを社会学の視点から精緻に分析した、牧野智和氏の『日常に侵入する自己啓発』を読みました。学術論文の体なので、とても歯ごたえがありますが、「けっこう危ういジャンル」という自分の認識を補強してくれる内容でした。
牧野氏ご自身はこの本で「特定の著者を貶めようという意図はまったくない」とはおっしゃりつつも、けっこう厳しい批判が加えられています。だいたい書名からして「侵入する」ですからね。ほとんど学術論文で語り口が少しもおちゃらけていないがゆえに、そのぶん容赦ないというか、よけいに皮肉が増幅されているというか。あろうことか、私は読みながら何度も吹き出してしまいました。
この本の前半では、「年代本*1」と呼ばれる自己啓発本の数々を俎上に載せて、そこで主張されている「自分らしさ」、ひいては「男性らしさ」「女性らしさ」の実態を解析しています。そうした書籍が出版された時代背景の差ということもあるのかもしれませんが、時間を隔てて比較される「自己啓発本」たちの言っていることが実にさまざま(というか、すごく偏った意見、ときに真逆の主張)であることに、あらためて呆れざるを得ませんでした。
たとえば私が大学を卒業した年に出版されたある本など、いまから振り返ればなんと時代錯誤なと思えるような主張が堂々と述べられています。そんなに昔のことでもないのに(いや、けっこう昔のことかしら)、自分が社会人として歩んできた時代に、そんな主張の本がけっこうなベストセラーとして読まれていたわけです。やっぱり、危うい。
またこの本の後半では「手帳術」や「片づけ術」に関する様々な自己啓発本が分析されています。手帳術はともかく、片づけ術に関する本など、私にとってはかなりの割合で既読のものばかりでした。けっこう断捨離好きでミニマリズムにあこがれるタチなんです。でもこうやって分析されてみると、これまたかなり偏った主張であったり、さらにはスピリチュアルな領域にまで踏み出していたり、ここでも危うさがそこかしこに見られます。
こうした自己啓発本、現代ではネット上、たとえばYouTubeなどの動画にも同じ系統のチャンネルがたくさんあるので、注意したいところです。……と、ここまで書いてふと気づきましたが、かくいう自分もこのブログで似たような論(とくに若い方々向け)を書いたことがけっこうあるのでした。なんだかものすごく恥ずかしいです。
*1:20代にやっておくべきこと、とか、50代からの人生を充実させるために、とか、人生を10年単位で区切って(これも乱暴といえば乱暴ですよね)、その年代に望ましい生きかた・暮らしかた・仕事のしかたなどを論じる書籍のことを指します。